我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

毒も大事

合宿の宴会の時の話。まじめなOさんがいつもにも増してまじめな表情で「あのぅ、ひとつ聞いてもいいでしょうか」。

どうぞ、どうぞ。

「私は気が弱いというか、いまひとつ気力や闘争心に欠けているな、と思うんですよ。それで…」

それで??

「強力な闘魂をお持ちの島村さんにアドバイスをいただければと」

ラーメン食べましょうよ。カップめん。高木先生が夜食に用意されたんだから。

「ラ、ラーメンですか?あの〜今ですか??」

あのね、先生が「カップめん食べませんか?」って言っているんだから食べないと。今食べないでいつ食べるんですか。


結局、Oさんはカップめんを食べなかったようだ。

私は闘争心を養うには、なんて考えたことがないし、自分にそんなものがあるかどうかなんてこたぁ、皆目わからない。

ただね、行動の決断は瞬間でしないと。食べないなら食べないで良いんですが、決断というのは瞬間でする。

先生が「せっかく用意したんだから」と言っているんだから、腹は減っていなくても食べる。

残念ながら私は酒は飲まないので、酒が余るから、と言われても飲むことは出来ない。

だから、せめてカップめんのひとつくらいはあり難く頂戴する。


それと、コジツケっぽくて恐縮だが、身体に悪いことも、たまには少しくらいした方が良い。

免疫機能や消化機能にたまには負荷を掛けないと廃用性萎縮で機能が衰えるだろ。

生命力をコントロールするこれらの機能が衰えれば、気力や闘争心は落ちてアタリマエだ。

体調を崩さない程度に身体に毒を入れて、生命維持機能を刺激した方が、結果的に長らく健康を保てるような気がする。


大きな話につなげると、これ社会だって同じ事が言えるよな。

例えばさ、ヤクザをありとあらゆる所から締め出しているけれど、コレは愚策だね。

何をどうしようが、アウトローは絶対に生まれる。ヤクザはそういう連中の受け皿・取りまとめ役として、機能している部分がある。

お目こぼししておいて、たまに出すぎたら取り締まるくらいで良いんじゃないか?ヤクザを潰したらアウトローは地下に潜るだろう。

そうしたら実態が掴めず、却って困るんじゃないか?

ヤクザ・テキヤは町の潤滑油位に考えて泳がしておいたらどうかいな。単体では明らかに体に悪い酒が、社会の潤滑油であるのと同様にだね、アウトローも活かし方次第じゃないの?


大体、テキヤがいない祭りなんて凄く味気ないじゃないか!たまにテキヤを排除して自治会で出店を出してお祭りやる地区があるけれど、素人臭くって見てられないよ。

粋じゃないね、ひとつも。


…大いに話が飛んでしまったので、戻しましょう。

闘争心はともかくとして、気合とか気力の源泉は生命力なんだから、これをサボらせてはダメだろう。

瞬間的な判断と、適度な(←ここ重要!)身体いじめは怠らないようにしようね♪