我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

武道観

 私の武道観は基本的に講道館柔道創始者嘉納治五郎先生のそれに準じている、と言ってほぼ差し支えないと思う。武術と武道は違う、という言葉を時々聞くが、私にとっては武道とは、あくまでも武術技法を土台にしてそこに体育性と精神修養を明確に織り込んだ身心学道である、と捉えている。

 

 嘉納先生の柔道観については、専門家の手になるものがあるので引用します(藤堂良明『嘉納治五郎の柔道観 その1 』- 仙台大学紀要 第18集 所収)。

 

(以下、引用開始)

 まず、従来の柔術講道館柔道との修行目的の違いについて、嘉納師範は「柔術の元来の目的は勝負の法を練習することであった。そして勝負の法には種々仕方があり、或る流儀では専ら投げ殺すことを目的とし、また或る流儀では当て殺したり捕り押さえたることを目的とした」と記され、柔術の目的は勝負の練習にあったと述べている。これに対し講道館柔道では「体育と勝負と修心との三つのことを目的とする。この三つのことは相須って柔道を為すから、全く離して別にすることはできない。」と記し、その目的が体育、勝負・修心の三つにあった、と説いている。

 嘉納師範の言う体育とは、体育法とも称えて、その目的は「筋肉を適当に発達させ、体身を壮健にし、力を強くし、身体四肢の働きを自由にすることである。」と記され、体育の目的は強、健、用にあったと説いている。この為、講道館柔道では体育という観点から「何程よい手でも危険の恐れのある様なものは悉く省き、又なるたけ一様に全体の筋肉を働かせるようにしてある。」と記され、柔術の技のうち危険な技を省き、全体の筋肉を働かせるような練習方法を確立したのである。

 勝負とは勝負法とも称えて、「人を殺そうと思えば殺すことができ、傷めようと思えば傷めることができ、捕えようと思えば捕えることができ、又向かうより自分にそのようなことを仕掛けてきた時此方で能く之を防ぐことのできる術の練習をいう。」と記し、今日行われている柔道の勝負(試合や乱取りよりも、もっと広い意味での武術を指していたといえる。なお勝負を決する方法には、投技(手技、腰技、足技、真捨身技、横捨身技)と固技抑込技絞技、関節技)と当身技(打突と蹴技)の三つがあり、投技固技を中心に乱取が行えるようにし、「不断は危険でできない当身技は専ら形により練習せねばならぬ」と述べている。

(以上、引用終わり)

上記の理解を前提にして、少し論を展開してみたいと思います

 

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