我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

質実剛健

今日は一番楽しみにして居る剣道の“金特”の日。しょっちゅう書いているのだが、おっさんになってから剣道を始めた私は基本打ちが決定的に足りない。素振りは家で出来ても、基本打ちは相手をして下さる皆さんが居てこそ出来ること。

稽古の途中で館長先生がコメントを。

「中学生あたりに何人か居るんだが・・・。打った後やたらと誇示するような動作をしているのが居るな!どこで覚えたんだか知らないけれど、余計なことをせんように!剣道は余計な事はしないんだ!

剣道部の父兄によると、白石先生は何かと飾り立てることはお嫌いだそうだ。剣道具についてもやたらに派手な飾りをあしらったものなどは使用されない。質実剛健を重んじる、とのこと。

質実剛健であることは、実技においても重要なこと。空手や拳法の組手でも、やたらとコケオドシみたいな動作をする人間が居るけれど、あれも白石館長に指摘された中学生レベルの行為だね(笑)。

無意味に動いて“ピンポンダッシュ”みたいな打ちを出す輩が居るけれど、こんなこと、倒し合いの中で出来るわけないんだから。少なくとも同じ目方の鍛えた者同士が素手で戦った場合、心と体が“虚”になったところを捉えた“打ち”じゃなかったら、倒れたり効いたりするわけないでしょーが。

もちろん、仲間うちでいつも本当に倒し合いをしていては、上達する前に身体を壊してしまう。けれども、少なくとも稽古においてはそれを想定して「相手の心身を動かして打つ」稽古をしないと。

ただ動かないってのは単なる“居付き”。動かされないためには、肚を練るしかない。末端の技術論だけ振り回しているようじゃ、ハラなんか出来っこないね。

小手先の稽古してんじゃねーぞ(笑)。
小手先の稽古で“太気”拳は名乗れねぇだろ?

肚を練り上げた人間が多くなれば、日本の抱える病巣なんざ問題じゃないんだけどね。少なくとも俺はそういう人間でありたいと思うし、そのために拳を練っているわけ。

質実剛健の精神で、良い稽古をして行きたい。