我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

続・武術のスタミナ

superbody2010-01-11


『武術のスタミナ』と題した昨日の記事に関して、中長距離走の選手経験をお持ちの婆娑羅様よりコメントを頂戴しました(2010/01/10 コメント欄参照)。

婆娑羅氏は800mで県3位に入賞したことがあるほどの走者であったが、一線を離れると素人と同じになってしまう、さらに、空手家の走り込みについて疑問をお持ちだった、ということを述べておられる。

ここで言う“空手家”がどんな人を指すのかは知らない。走り込みが空手に必要か不要かも、一言で論ずることは出来ない。なんとなれば、その空手家氏がどのような立場で空手に取り組み、走り込みをどのような位置づけで捉えて、どれくらい行っているいるか、を私は知らないから。

ウェイトトレーニングに対しても同じことが言える。武術にウェイトは必要でしょうか、という質問を受けたことは100回は下るまい。

走り込みについて一般論的に言えば、競技選手として空手に取り組むのならば必要だし、身を護るための武術として行うならば必ずしも必要ないでしょう、と答えます。時間があればやっても良いでしょうが、忙しい方が多忙の隙間を縫って不測の事態に備えるための武術として稽古されるならば、当然、優先順位は下がる。

競技である以上、やって良いこと・いけないことは決まっているので、自分と相手が“試合に勝つ”という目的に向かって行うことはある程度限定される。したがい、技量に大きな差が無い限りは究極的には体力勝負になる。だから走って体力を付けることも必要でしょう。

武術は場をコントロールすることが第一。勝たなくても良いし、究極的には“戦わない事”が出来ればそれがお互い一番良い。また仮に戦うにしても心理戦や地の利を生かすなど、見えない技術の比重が大きくなる。そのためには“状況判断”が戦いの技術と同等以上に重要になる。

私自身はたまに走ることがある。ただ、距離や時間はあまり定めない。場所にしても平地に拘らず、むしろ坂や不整地、山道などを利用することが多い。

私のランニングの目的は、“武道的身体”の大前提=素材となる“人間体”の整備と強化です。もう少しだけ具体的に言えば、足廻りの柔らかさと強靭さの養成、無駄な力を抜く練習、そして神経の鍛練をも兼ねます。

稽古・鍛錬方法の良し悪しは、行うタイミングや意識の持ち方で変わるので、一概には言えません。はっきり言うと、自分で感じ取る部分が非常に大きい。センスが無い人間はそこが壁になります(ここで言うセンスとは、自分を客観的に見つめ、素直に感じ取れる心身の成熟度ですので、念のため)。

・・・とまぁ、もっともなことを書きましたが、実際には気まぐれで走ることも結構あります。今日も犬たちと山に行って来ました。二時間ほど歩いたり走ったりすると、本当に身体の中から無駄なものが落ちて行きます。良い汗をかけました。

良い汗をかくと、ただの水さえ美味い!と感じられるものです。こんな安上がりな幸せを感じられる自分の生活を、ちょっと良いなと思います。