我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

対応力 〜その2「素敵な人間」

なぜ武術において対応力が大事か?それは、武術が実践される場合、戦う相手も、人数も、状況も、ルールも、・・・何一つさだめられたものはなく、したがって、スポーツ競技のように「勝ちのセオリー」というものは立てられない。

そこがスポーツ格闘と武術の大きく異なる点であり、どちらが“優れている”とか“強い”、ということではない。

そもそも、上述のような限定の無い戦いでは、強いから勝つという、測定の論理はあまり意味を成さない。弱者が“本気で”強者に勝とうとおもったら、手段を選んだりしない。ありとあらゆる手段で仕掛けて来る。

私自身の恥を言えば、不意打ちされたり、多人数で襲われたり、武器を使用されたり・・・おっと、最近ではネットでの“成りすまし”ってのもあったな・・・という具合に少なからず“ルール外”の攻撃を経験した。

では、こうしたあらゆる方法に対して対抗手段を講じ知識・技能を身に付けるのが武術家なのか、と言えば、そうではない。そのようなことを主張する御仁を私も少なからず見聞きしたが、それは単なる変態だろ??

随分前に某居酒屋で、ある武術団体の飲み会に遭遇したときのこと。その中の一人が、殺人術だとかナイフ術だとか、毒がどうした云々と、うるさいことうるさいこと。


あのなぁ、こういう変態が武術・武道に対する偏見を世に蔓延させるんだよ!


そして酔いが回ったのか最後に言ってはならないひとこと。「空手を相手にするにはこうすれば(以下略)キ・キ・キ・キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!! 待ってました!!

その後は、ご想像にお任せします(笑)。・・・とりあえず殺人術は出ませんでした!


私の与太話はともかく、攻撃手段やその対抗手段の各論をマニアックに追求することより、人間の行動や生き方の普遍的な原理原則を見つめ、そこから如何に生きるべきか、ということの追求に重きを置いたほうが良い。

武器やら毒物と言えどもそれを用いるのは人間である以上、人間とは、という原点から捉え返すことが必要ではないでしょうかね?

なんか難しいこと言っているみたいだけれど、どうっちゅうことはないですよ。要はね、どんどんと人と真っ向から接してみれば良いんだよ。そして、そのなかで悩んでみろ。

相手のことが理解できなかったら、まっすぐ向かい合って目を見て話せ。


都市に住んでいるくせに人間嫌いを気取ったり(←友人が居ないだけ)、ホモでもないのに女性に興味ない振り(←もてねぇだけ)したりして、居酒屋やファミレスで人様の前で刃物だのガンだの急所だの・・・について大声で嬉々として語っている君、たまには合コンでも行け!んで、カラオケではアニメソング以外も歌えよ!


・・・いろいろと話が飛んだけれど、だから本当に武術・武道の上達を望むなら、技はもちろんのこと、対応力を身に付けることです。

そのためには、視野を広く持って色々なことに興味を持ち、さまざまな状況下に自分を置いて多くの人と会って、己の枠を広げてみると良い。


最後に、私が尊敬するある人物が言った言葉を紹介します。

「強い人間なんていっぱい居るんだよ!でもね、素敵な人間は少ないんだ。武道をやるなら、素敵な人間になってみろ!


だれが言ったと思います?小さな巨人と呼ばれたあの方です・・・。