我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

命に向き合う

たった一つしかない、そして最大の宝物である「命」について、一度でも真剣に向き合って考えたことがありますか?

不安を煽るつもりは毛頭ないが、そろそろ真面目に「身を護る術(すべ)」というものを考える時期に来ていると感じる。

こう言うとすかさずアタマで捻り出した反論をする方たちが居る。曰く
・君子危うきに近寄らず
・三十六計逃げるにしかず
・戦おうとする心が、危険を招く
・警察があるじゃないか
・周囲に助けを求めればよい

それから・・・まぁいくらでも出てくる。

だけど、危険というのはどこに潜んでいるか分からないし、そもそも殆どの人は行動半径における危険度チェックなど、したことないだろう。なのに、どうやって危険を避けることが出来るのか、聞いてみたい。

そして一定の割合で「異常者」は存在する。彼らは必ず肉体的「弱者」を狙う。戦う意志や力を持たない人たちを、彼らは狙う。

人間は、訓練していないコト・想定していないコト・学んでいないコト・・・は出来ないようになっている。

以前開催した護身術教室に参加して下さった女性も「十代の頃、車に押し込まれかけました」と語って下さった。こんなとき、パニック状態に陥って大声を出すことすら出来なくなる、とも言った。

それでも自分一人の事ならまだ良い。女子供・高齢者などの弱者が襲われていたら、あなたは逃げますか?

私は師に「武術の技の目的は、身を全うすることに在り」と教わった。意味は敢えて聞かなかったが「たった一つしかない、そして有限の命を悔いなく使い切ること」であると私は理解している。

これはただ自分の身の安全を確保できればよい、という小さな話ではない。弱者を置いて逃げて生き延びて、命を悔いなく使い切ったと言えますか??生涯を閉じるときに「いい人生だった」と言えますか?

武術の技は必ずしも万能ではないが、危機に際しての対応回路を創り上げる、という意味では大きな価値がある。戦う技法を通じて人の仕組みをまなび、究極的にはその理法の修練が「よりよく生きる」ための実践的な学びとなり得る。

何度も書いているが、海外で日本武道が高く評価されているのは、単に異国の格闘術への好奇心の対象としてではない。

武道とは、武術の技法の修練を通じて人間を学び、より良く生きるための理法を体得するための身心学道であると、私は考えている。武の道を修める者として、命に正面から真剣に向き合って行きたい。


太気拳至誠塾栃木支部は、太気至誠拳法太気拳)を学ぶ武術・武道の道場です。武道初心者はもちろんのこと、武術・武道・格闘技で伸び悩んでおられる中級者以上の方も歓迎いたします。また、護身・健身(健康づくり)目的の方の参加もお待ちしております。稽古会場:小山市栃木市宇都宮市上三川町詳細は:http://taikiken-tochigi.jp/practice/

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 中国拳法の流れを汲む武術。創始者澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

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