我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

妙不伝 - 1


夕方から剣道の稽古に伺う。しっかり脚の体操を行って、過負荷にならないように準備して稽古をお願いする。稽古は火曜と日曜を除く週5日ですが、私が参加するのは月・木・金の週3回。用事があって週末小山に居た時は、まれに土曜日に伺うこともあります。

月・木は地稽古。金・土は基本打ちが中心で、終わりの3分の1を地稽古に充てます。初心者の私としては基本打ち中心の稽古が必要なので、金曜日を外さないように稽古のスケジュールを組んでいます。

学生さんは学校で嫌と言うほど基本打ちをやっているので、地稽古でも色々な駆け引きを行って多彩な攻めを見せます。私はいかんせん基本打ちが足りて居ない。せいぜい自宅で少し素振りをするくらい。

何せ、相手が居ないから、基本打ちの切り返しや面打ちも、道場に来た時にしか出来ないわけです。だから、地稽古といっても、向かい合ったらまっすぐ吹っ飛んで行って、真っ向から打つだけです。

当然、ビシビシ反撃を頂戴します。先生方が間を詰めて攻めて来ても、受けが間に合う時には受けますが、たいていは間に合わないので真っ直ぐ出るだけ。

打たれることが分かっていても、相手が詰めた瞬間に出ます。いつもこんな具合なので、そこそこ息が上がります。身体も練れるし、“そこ”を取ることで口では伝わらない“妙”が伝わります。

実はコレ、私の太気拳の師匠たる高木先生が若かりし頃、北京で姚先生から意拳推手を学ばれた時のお話を参考にさせて頂いているんです。

その時高木先生は、姚先生の圧力から逃げずにきちんと向かい合って稽古したおかげで、姚先生は喜んで色々な崩しを掛けて教えて下さり、結果、得るものが非常に大であった、とのこと。

外界からの刺激を五感で受け止め、その蓄積が知覚神経を鋭敏にしてくれる。その時、姿勢を崩し感覚を閉ざしてしまえば、神経は鋭敏にならない。武術に例えれば、拳法なら手が利くようにはならないし、剣道なら剣尖が利かないわけです。

これは書かれたものをいくら読み込んでも、神経を鍛えなければ“利き”は体現出来ない。どんな名師に如何に丁寧に教わろうとも、耳学問では武術的にはクソの役にも立たないわけです。

(つづく)