我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

丹念に

嶋田選手の記事(日経朝刊)


最近はまさに情報過多の時代であり、ありとあらゆる分野の情報が居ながらにして入手できるようになった。身体運動の分野もその例にもれず、昔ならば、一部の人間しか知らなかったような特殊な流派や身体開発メソッドの情報が、さして稽古歴が深くない人の口から出てくるようになった。

まぁ、「あんたがそんなこと知ってどうする?」と言いたくなるようなことが多いのだが、私も時々は身体開発法のサイトを覗く事がある。

キーワードを入れればたちどころに関連分野の情報が出てくるわけで、見る眼さえあれば有益な情報や気付きを得ることが出来る。インターネットの力とは凄いものだと、今更ながらに思う。

先般ふと思い立ち、ヨガやピラティスでキーワード検索してみた。人気分野であるだけに、わんさか出てくる。きれいな女性インストラクターをモデルに使っているサイトもあり、ヤニサガッテ見ていたわけだが、ちょっと気になったことがある。

「この子、本当にヨガなんかやっているの」と突っ込みたくなるモデルが多いことだ。何がやりたいのか全くわからない。いや、形はきれいなのだけれど、「キメ」がない。そんな子が結構いる。

そういうのは大概、他のメソッドをベースにしている人。特に元ダンサーやバレー経験者。柔軟性があるゆえに、キメどころが決まっていなくても形が出来てしまうのでしょう。

外形のつじつま合わせが出来てしまう故、運動の要求するところを追求せずに通り過ぎてしまうというわけだろう。逆に、素人から丹念に積み上げた指導者は驚くような柔軟性がなくても、きちんとしたキメが出来ている人が多い。

つじつまが合えばOKというのならば、それはそれで習う人の勝手ではあるのだけれど、俺はそういう稽古はしたくないな、と改めて思いました。丹念に積み重ねて器を作り、誰も真似が出来ないものを作り上げる、そんな稽古でありたい。

情報過多の昨今ではありますが、確かな「選球眼」を持ち、自分の目標を見据えて山を登る根気がある人にとっては、とてもいい時代なのではないでしょうか。

今日の1枚は、私のボクシングの先輩である嶋田雄大さん。日経新聞のスポーツ欄に「駆ける魂」というテーマで嶋田さんの記事が連載されています。彼も確かな選球眼と持ち前の根気の強さで丹念に心身を作り上げている名選手です。歩む道こそ違えども、私も負けて居られません。