我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

弛緩

今日は体調が思わしくない。病気、というほどでもないのだが疲れが溜まっているようなので、夕稽古は中止して家で読書。


私は割りと活字が好きである。わずかばかりの金額を払えば、人様の生き方・考え方をじっくり学ぶことが出来るのだから、安酒を飲む金があるなら本を買うほうがいい(もっとも、安酒とて面白い人間と飲むのならば、馬鹿にしたものではないのだが・・・)。


読書に限らないけれど、心身をリセットする時間は大事だ。私は年中無休で稽古しているから堂々と言うが、鍛練が身になって行くのは休んでいるときだ。

筋肉の超回復のことだけを言うのではない。

神経や脳、魂も負荷を掛けた後(←ここが大事)休ませてあげると、じわじわと力が漲ってきてさらなる稽古意欲が湧いて来る。


ただボ〜ッとするのも悪くないが、目先の違うことをするのがよい。いつでも同じ稽古ばかりやっていると心身が部分疲労してくる。

部分疲労から来る歪みを取るのには、目先を変えてバランスを取ることが望ましい。


武術家でも芸術家でも自分の表芸だけに目が行っているようでは、まだアマイ。強い人間、ましてその強さを長期に亘って持続する人って言うのは、やはりバランスが取れている。


一方だけに強いなんていうのは、反対側から押せばひっくり返る。えらそうにふんぞり返るヤツも、卑屈に身をかがめるヤツも、バランスが崩れている、と言う意味では同じだな。

ふんぞり返るヤツなんてひとつも怖くない。


それはさておき。

何をやるのでも、色々な方向に神経を刺激してやらないと、早晩行き詰っちゃう。行き詰ったまま稽古しても効率が悪いでしょ。

稽古は我慢比べじゃないんだから。

一段上に行くためには、閃きがなければいけない。で、閃きっていうのは、根詰めた後の弛緩のときにやってくることが多い。


もっとも、稽古しないで“弛緩”の時間だけやって来る人間なんて論外だけれどな(笑)、そういうヤツも俺はきらいじゃないよ。

尊敬はしないけれどね(笑)。