我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

杖の稽古

今回の日曜稽古会では、杖(じょう)を稽古しました。前日に伺った柴又の本部道場の稽古にて、“槍の身法”を稽古しましたので、温かいうちに得物を持ってその身法をやろう、というわけです。

本当は、槍があれば一番良いのですが、私が空手道で稽古した棍(こん)が一本あるだけで、得物の本数が足りないので杖にて代用した次第。

ところがヒョウタンから駒ではないけれど、体術を稽古する者にとっては杖はとても使い勝手がよいので、身法の稽古だけではなく、得物をすこしやろう、という流れに。

稽古会の参加人数が少ないと、話は複雑系に、論理性は低く、そして閃きで稽古が進んで行く。とは言え、グチャクチャな内容にならないように、テーマだけは心の中で決める。

“的から引っ張られる突き”がテーマ。太気拳の身法で行う得物ゆえ、メインテーマに行くまで、半禅、揺、歩法など、太気拳の色々な要素を組み合わせておさらいし、感覚を研ぎ澄ませて身体を整える。

突きと歩法を十分練ったあと、簡単な相対稽古。杖を遣っての簡単な対応方法を行う。結局、今回は無手の稽古は最後に行った推手だけ。まぁ、たまにはこういうのも良いでしょう。

我々の表芸は拳法ですが、武術である以上、相手が武器を持っても多少は対応出来るようにしたいと考えています。そのためには、体術の動きと同じ理で得物を操作出来る必要がある。

私はいわゆる杖道を体系的に稽古したことが無く、武器法に関しては、就職後数年間稽古した古伝武術で教わった身法と得物の振り方、空手道で稽古した棍の基本を、太気拳の身法でまとめて遣っている、というところ。

普段は武器の稽古はほとんどしないのですが、普段の体術の理が得物に生きる。大成拳の偉い先生(趙道新老師でしたっけ?)の語った「拳三分に歩七分」の理は、拳を剣(=武器術)と読み替えても生きるな、と実感します。

歩法・身法といった根幹が出来れば、技=拳は後からいくらでも出来る、拳を出すための体捌き・足捌きが肝要なのだ、というくらいの意味だと思います。

根幹を練るのが大事ですね。当たり前ですが。