まずは基本
今日は午後から小山で仕事だったため、自宅に前の日に戻って朝はたっぷりと稽古。仕事も早く終わったので、高田馬場の稽古にも参加出来て大満足♪
テーマは試力による手足腰一致の動き。何を隠そう、これ、私の定番の稽古です。
この稽古で全身一致・心身一致の境地を得て、初めて太気拳らしい組手が出来る。
よく高度な武術は10年間は戦えない、と言う話を聞く。10年間全く戦えない、というのは大袈裟だが、拳の術理を十分に体現して、尚且つ、滅多なことでは負けない、というところに行くのには、それくらいはかかるかも知れない。
もちろん、顔を凸凹にされて「いや、俺は負けていない」とかいうのはナシね。
本当に心身が充実するには集中した稽古を気長に続ける必要がある。試合を中心に据えるとどうしても目先の稽古になる危険性が生じ得る。
そこで先生の意向としては、今年は忘年組手を行わない方向で考えている、とのこと。
試合が稽古に励みを持たせる、という奨励の意味であれば良いのだが、試合のための稽古、というのは本末転倒だ。
中には忘年組手対策の稽古をした方も居られるようだが、非常に奇異に感じるね。
私自身、稽古の殆どは基本稽古と錬体に費やしているし、生徒への指導もまたしかり。
太気拳は「形あって、形無し」と言われるのだが、もう少しこの言葉の意味を考えたほうが良いかもね。
自由と出鱈目は、ちがうよ。
稽古では勝つことではなくて、地力を養うこと・正しい動きを身に付けることに集中せんと。自戒を込めて言うんだけれどね。