我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

心をこめて

水曜に引き続き、本日の稽古も推手を。推手そのものの掘り下げと組手・実戦への展開を中心に行う。離れていても、推手で培ったものは活きる。


実際の戦いにおいて必勝法など、ナイ。いくら堅固な構えを作ろうが、手足の本数がみんなと同じである以上、それだけで安心立命の境地には立てない。

手が利き足が利き、ひいては身体全体が利いて、どんなポジションでも立禅の体固めをくずさずに発射台を築く。そして心が澄み渡って驚懼疑惑による居付きから開放されて、はじめてその構えは完成するだろう。


そのために立禅を組み、這い、練る。自分と向き合って基本の動きを心をこめて稽古する。

自我を抑え込んで理(ことわり)と向き合えば、少しずつだが自分の身体に財産が築き上げられてゆく。

見事な技に人が称賛を惜しまないのは、その習得の過程で自己と向き合った時間とエネルギーに思いを致すからであろう。

技がポンコツなのは、身体能力の問題ではない。自我に引き摺り回されて真理に向き合えていない、すなわち心の問題に他ならない。


参考までに栄花先生の模範稽古動画を貼り付けてみました。

動画:http://kendovideo.seesaa.net/article/139686076.html


面小手を付けずにこの応じ方。基本の完成度の高さが伺い知れます。どれだけ心をこめて基本を稽古されたのだろうか。


武道における心の修養とは、なにも堅苦しい道徳の話ではない。また、“行”をともなわない“アタマ”の世界の勉強で心が練りあがるはずがない。余談ですが、それゆえ私は、世間に流布されているほとんどの宗教を全く信用していない。

修行ひとつしないでだぶついた身体を晒す宗教家を信頼するな。


まずは“行”です。我々の世界で言えば、心をこめて稽古すること。そこを履き違えて理念のみを語ればどこかの“教祖様”になっちゃう。


今年もしっかり稽古して参りましょう!