自主鍛錬
書店で月刊誌『秘伝』の最新号発見。特集は“自主鍛錬”。多忙を理由に稽古量が落ちている最近の私には少し耳が痛くなるテーマだな(笑)。
この3週間ほどは結構多忙で、太気拳の稽古も体調管理程度の本当の最低限の量しかこなせなかった。まして剣道の稽古は言うに及ばず・・・。
私のことはさておき、今回の号は良い内容だ。紹介されている鍛錬もさることながら、各界の先生方の一人稽古に関する取り組みや考え方も興味深いものがある。
この雑誌は創刊号から買っているが、ここ数年は面白くなった。実践者が楽しめるページが増えてきた感がある。
失礼を承知であえて言えば、最初のころはほぼオタクの為の雑誌だった。出てくるセンセイも酷いのが結構いたな。なんでこんなオカルト野郎を載せるのかと、驚いたものだった。
インターネット普及によって価値観や情報の共有が容易になった今、客観性に欠けるオカルト的武道論は通用しにくくなった。
伝統武術修行者にありがちな「何でもありならウチが最強!」という“逃げの一手”も、バーリトゥードやら軍隊格闘技やらが出てきちゃった日には、どもならんわいな(笑)。
秘伝誌の変化の背景も、そんなところにあるのかも知れない。
以前は師範や流派の情報を入手すること自体が大変だったであろうし、その技量だって事前チェックなんかなかなか出来なかっただろうから、編集者のご苦労には頭が下がる。
さて自主鍛錬についてであるが、私自身の一人稽古は太気拳の基本動作が9割。時間・体力があればちょっとしたコンディショニングや得物の素振りくらいは行う。別段、変わった内容ではない。
時々ボディワークの講習会に出掛けてみたり他流の先生方との交流もあるが、稽古の軸はまったくブレない。
他の分野に触れるのは、思考・感性と身体が固まってしまわないため。武道でも日常生活でもそれらの“居付き”こそが最大の敵。その意味では武道雑誌読むのも、思考と感性の見直しになる。
武道雑誌の読み方ひとつとっても、具体的な技術や稽古法“だけ”を学ぼうとする読み方は初心者の域を出ない。
これは初心者を馬鹿にして言うのではなく、何年も稽古した高段者や、まして指導者クラスの人間がそれではねぇ・・・という話。
人間の心身が複雑系である以上、切り口なんかいくらでもある。知らない事・持たない事を不安に思うより、持っているものを最大限に使うことと状況の変化に対する対応を考えた方が良い。
もっとも、そういう割り切りやら悟りってのも毎日一定の時間はビシッと稽古に費やしていてこそ出てくるもの。きちんと練り上げていることが大前提だ。
身体を練っていない先生ほど、焦って知識や技法のコレクションに走っていらっしゃる・・・ようにお見受けいたしまするぞ (・∀・)ニヤニヤ
私は今まで先生方に教わったものに信頼を置いていますから、まったく焦らずご教示頂いた事柄を見直し検証する日々でございます。
さいわい仕事もひと段落。これからは鍛錬の秋ですな!