我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

呼吸力

先日剣道の審査で初段を頂戴いたしました。これで太気拳・空手・剣道の段位を足して合計十段になった。


今度から、気安く島村呼ばわりしたら振り向かないぞ。敬意を込めて「範士」と呼べよ。お辞儀の角度は45度な(笑)。


・・・冗談はさておき、私が高校生くらいのときは、よほど鈍いヤツでも受かっていた初段審査。最近では結構落とすようになっていたので少し意外に感じたのでした。

審査は実技が受審者同士の立合い(互角稽古)と剣道形。そして筆記。

立合いの審査で合格した受験者が形と筆記を受ける。形は全員合格したのだが、審査員の先生が「剣道形として厳正に審査したならば、半数は落ちるよ!」と苦言を呈しておられた。


私も木刀の素振りは普段から行うものの、形そのものは審査の一月前に稽古を始めたくらいで付け焼刃もいいところなんだが、その私から見ても「?」な形を打つ人が2・3段の受験者にいたのは驚いた。


形そのものは竹刀稽古に直結しなさそうに見えるが、呼吸とか調和力を練るのにはいい稽古であると思う。


太気拳でも“刃筋”を合わせる推手が出来ない人ってのは、強い弱いは別として、組手において調子・拍子・間の取り方が「ぶー!」だな。


そんなじゃんけんポンみたいな組手しか出来ない状態では、私なら怖くて人前には立てない。“勝負”(組手、ではない)での出会いがしらの怖さを知っているからね。

全てにおいて自分を凌駕する相手に負けたのなら納得できるけれど、本来負けるはずの無い相手に不慮の事故で負けるのは、武術者として末代までの恥だ。

息を合わせずにぶつかり合うから、そういうことが起こる。


高段者が格下を相手にしたら、双葉山の相撲みたいにいつでも“立てる”立合いを出来なければダメだろう。格下を相手にして攻撃一辺倒しか出来ないのでは、白帯からやり直しだな(笑)。


どんな武道でもそうだが、特に太気拳は立禅で呼吸を練っているんだからさ。それで格下にキレてるんじゃあ、技術もあって肚が据わった相手に出会ったら、「バッチリ引き出されてポコペンだっぺ」。


先輩練士の面々はもちろんなんだが、高田馬場の同門塾生でも加圧トレを止めてリバウンドしちゃった“あの人”は体構えと呼吸力が充実した推手をやってくれる。

デュエット推手でも喧嘩推手でも気持ちよく出来る。こういう人は貴重だの。

あの呼吸力と体構えにどうすればザクザク切り込めるのか、というのが私の課題のひとつでもある。

課題があってこそ、稽古もやり甲斐があるっていうもんだよな。