我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

ゼニブタ

先だって以前居た関係会社でお世話になった方が定年退職されるというので、都内某所で当時のメンバーが集まってお祝いを行った。

会社自体はすでに無くなったのだが、なかなか楽しく仕事が出来たところだ。


色々と話が弾んだのであるが、他部門のこととは言え大企業サラリーマンの嫌な部分の話題も出た。


代表的な例をひとつだけ挙げる。


ある関係会社の社長さんは月に百万円以上経費で飲んでいたという。もちろん、交際費というよりは殆ど側近の社員との公私混同飲み会で使っていたものである。


その会社はいわゆる“ピンはね会社”。協力企業から安く購入して、親会社の代理店に高く売るという仕事をしていたわけ。

安く買えるのは親会社の購買力のおかげであり、高く売れるのは、これまた親会社が構築した商流に乗っているおかげ。

その子会社もそれなりに付加価値をつけた部分もあるだろうが、自分で汗かいて利益を生み出しているとは言い難いわな。


代理店はお客さんと熾烈な価格交渉しているんだから、親会社の商流に入り込んでいるだけのその企業が、そんなに湯水の如く銭を夜の街に注ぎ込んでエエんかいなと、ワシャ強く疑問を抱いたな。


この社長さん、70歳を超えているんだが引退後は協力企業を渡り歩いているそうな。仕事と言えば今はお客になった元勤務先に出向き、管理職になったかつての後輩(現在の客)を恫喝しているのだとか。

それで高給をせしめ、相変わらず飲み歩いているらしい。

言ってみりゃ、民間の天下りだな(笑)。


本人は無頼を気取っているらしいが、単なる欲ボケじじいだね。

しかしアレだな。下種なゼニブタばっかりで凛とした男が居ないよね。


銭は汗水たらしたり知恵を絞ったりして人様のお役に立った結果として、相応の対価を堂々と頂戴するものだ。


そして、入った銭は自分の生活と社会が健全に回るように潤滑油として遣う。

哲学なく銭をむさぼる輩を俺は“ゼニブタ”と呼ぶ。せめて武道家はゼニブタになって欲しくないね。

武道は日本精神の最後の砦だからな。