拳法は基本だ!
日曜稽古会も土曜に引き続き打法をメインとした稽古を行った。
溜め方と打ち方を単練とミット打ちで繰り返して稽古したあと、入り方の研究に重点を置いた組稽古、そして推手を行って終了。
たぶん、私は比較的基本にうるさい方だろう。が、それでも言いたいこと全てを言っているわけではない。
すべて言ったら、このご時世、誰も居なくなっちゃうだろうし、“気付き力”を養う大事な機会を逸するから。
基本の重要性を自身で気づいて稽古して頂きたい、と言うのが私の考えだ。
絶対に守ってほしいのは基本は大きく作らねばならない、ということ。では大きく、とはどういうことか?
これは単に運動範囲を大きく、ということではなく、例えば技を構成する工程が10あるとしたら、横着してごまかさずにその10工程すべてに意識の光を当て、動線と体重移動を味わいながら行うという事。
作った通りに組手や実戦で遣えるのか、といえばそんなことはない。だからこそ、相手が居ないあるいは居ても反撃して来ない稽古で大きく正確に稽古することが重要になるのだろう。
心をこめて黙々と基本を稽古すれば、稽古した分だけ伸びる。
立派な基本が出来ているということは、技に心を込めるという過程を立派に行ってきたという証だ。
基本がしょぼいということは、心の込め方が足りないということ。気を込めて遣り込んでいない、ということに他ならない。
もっと言えば、そういう人は先人より伝えられた理法を、自分のレベルに貶めて扱いそれで良しとするおごった心の持ち主である、ということだ。
先師の拳の領域を仰ぎ見つつ、一歩でもそこに近づくために、日々、心新たに基本を行ずる所存です。