我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

オタク

高田馬場での稽古からの帰り道でのこと。

山手線に黒縁メガネの3人組が乗ってきた。どいつも同じようなツラで、一目でオタクだと分かる。

こいつら、オタクのクセに通路のど真ん中に陣取り、AKB48について語り始めた。私のシートのまん前だったので、たまにはオタクの話に耳を傾けることにした。

私はAKBのことはほとんど知らない。好きでも嫌いでもない。誰が誰だか、まったくわからない。ただ、「歌もルックスもそれほどじゃないよな」というのが個人的な印象だ。

で、オタクたちによれば、「クラスで10番目にかわいい子」というのがAKBのコンセプトなんだと。

ここで一番のブサイクであるオタクAが暴言を吐く。「じゃあさ、それほど可愛くないっていうか、むしろ、ダメじゃん!!」おうおうおうおう・・・(B・ブロディじゃないよ)アイドルってなぁ、辛れえなあ。

なんでこんな童○野郎に「可愛くない呼ばわり」されなきゃいけんの?

「10番目の子を彼女にしたいとか、思わないよな」と連れのオタクBも怪気炎を上げる。

おいおい。寝言は寝て言えや。そんな贅沢言っているから、お前は35年間も彼女が居ないんだろ?ことほど左様にオタクってやつぁ自分が見えていないんだねえ。

さて、改めて言うまでも無く、私はオタクは苦手である。生理的に受け付けない、と言って良いのだが、なぜなんだろうか。

愛好家・好事家・道楽者とオタクは、必ずしも同じではない。なにが違うんだろう?

ここまでオタクをコケにしたんだから、理由くらい無いと悪いわな(笑)。で、大真面目に考えてみたアルヨ。

俺がなぜオタク嫌いなのか。・・・それは直接的には、ヤツラの周りを漂う淀んだ“気”によるところが大きい。

その淀んだ気は、自分の世界“だけ”に引き篭もる淀んだ生き方によって生じて居る。そこに私は生理的嫌悪感を覚えるのだ。

私あたりも四六時中武術のことを考えるクチだけれども、じゃあ、武術オタクかと言われたら、一も二も無く「絶対に違う!」と否定する。

オタクには「道」の精神は無いだろ?

道の精神が無いということは、いつまでたっても自己満足“だけ”の生き方しか出来ないということ。

いい年ぶっこいて自己満足だけのちいせえ野郎じゃあイカだろう、とまあそういうことだ。

道の精神については、稿を改めて述べる