私にとっての武道
好きなことだけやって引き籠るのではなく、好きなことを通じて世界を広く見渡し、世に貢献して行きたいなぁ。
これは思い切り自戒を込めて言うのだが・・・いわゆる「何とかムラ」の住人にはなりたくないな、成らんように氣をつけようと思っとります。
ムラの住人とは、大きなところで言うと「原子力」とか「精神医療」とか、世間一般から隔絶した利害関係者で構成されたせま〜〜い社会の住人。
とても排他的で自分たちの世界に引きこもって、悦に入っている連中ですね。武術の世界にもいるけれど、とにかく視野が狭いし話が成立しない。いってみりゃオタク!っていうヤツだな!
私も武術・武道・格闘技が大好きだし、その手の話なら何時間でも出来る。しかしねぇ、それ以外の話は何もできないし何も知らない、というのではダメでしょう。話にならない。
武に関していえば
「強くなりたい!」
っていうだけではダメです。
強さなんかその人がおかれた状況や前提、試合であればルール次第でいくらでも変わる。
強いってどういうこと?という定義を持っていないのに良い大人が「俺、強くなりてぇ!」って言ってもねぇ、といことです。チュウボウじゃないんだから、自分のしゃべっている意味くらいわからないと。
・「強い」ってどういうことか?
・強くなってどうしたいのか?
・目指す「強さ」を手に入れるために何をするべきなのか?
・そもそもその「強さ」を手に入れることが、良いことなのか?
・・・まだまだあるけれど、目指す目的地すらが分かっていないのに、何で旅に出られるんだ、と不思議な気持になります。
戦いの強さを徹底的に求めたはずの武人が
「武は愛なり!」
なんて喝破したと聴いて、十代のころは「???」でしたが、人生経験を積み抽象的な思考を突き詰めていけば、「そうですなぁ!」とうなずける部分もある。
もっとも、抽象度を高めればそうなる、ということで、「武は愛なり」を実感し実践するには、やはり具体的な経験を積み、その真意を掴む努力を重ねないとダメですわな(笑)。
武術の技法は一見すれば単なる身体運動であるけれど、その修養を通して他のジャンルにも〜大げさにいえば森羅万象に〜通底する「原理」「真理」「構造」といったものにアクセスする歩みに成り得る。
その歩みの過程で様々なジャンルの方々と出会い、その出会いを通して自分が気付かなかった武の一面を知り、認識・価値観の質的な転換を図る。そして認識の質的転換が、武技の向上につながり・・・というスパイラル。
志とか徳というものも、こうした体現を通した認識の質的転換、いわば大脳の働きの質的転換を通じて顕現したものこそが、初めて本物たり得る。
こうした武の学びを通した全人格的修養が、私にとっての武「道」であり、武道を追究する手段が太氣拳だったりする。
そして・・・一人でも多くの方にこの素晴らしい道をお伝えしたい!!と思っております。
新年は新しいことを始めるには、最適なタイミングですね。新たなる旅立ちと出会い。平成30年は、どんな出会いがあるでしょうか。楽しみです!!