我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

観る力

本日は金曜日。定時退社して平塚球場の公園で独り稽古を2時間ほど。

脚が快復して来ているので、加減をしながらではあるが、独り稽古を一通り出来るようになって来た。

完全休業すれば、治りは早かったのかもしれないが、怪我のおかげで負担の少ない動線が分かってきた。

まだ、体感レベルで理論化出来ていないのだが。いや、理論化出来たとしても、人にはむやみに言うまい。

ケチで言うわけではない。所詮、自分で悟るしかない世界だ。

むろん、私自身も先生や諸先輩方に教示頂いたものを基本に据えている。まったくの自己流など、あり得ない。あったとしても、タカが知れている。

それはともかく。以前も書いたのだが、言葉で示教出来る範囲など知れている。

おい、言葉を弄んでも、相手は倒れてくれねーぞ(笑)

理を言葉を尽くして説いても、即座に習得できるものでもない。出来たとしたら、そのレベルに来ていたということだろう。

そのレベルに来ているからこそ、言葉が心に響く。

こころに響けば、その先の魂に響けば、表情も身体感覚も行動も変わる。

指導する者は、そこを見極めて適切なアドバイスをすれば良い。卒啄同時、というやつか。

ま、もっともそれが難しいのだが。

教える人数が多いと最大公約数の言葉になるのはアタリマエ。しかし、同じ言葉を聞いても伸びるもの、足踏みするものがいる。

稽古をする者は、言葉をちまちまと追うのではなく、先生の動き、そしてそれを支えるものを“観る”力がないとね。

俺もそのつもりで稽古して来たけれど、まだまだ。十年前よりずっと目は肥えたし、動きも進化したが、塾長がこの十年で進化しちゃったからな。

でも、それがうれしいね。ワシの生徒にもそんな喜びを与えないとな。稽古、稽古。


明日は、大阪支部に稽古指導ということでお伺いします。精一杯務めますので、よろしくです。