我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

生命力

昨年、こんな話を読みました。

井本整体を主宰される井本邦昭先生のお話です。井本先生は整体指導の世界ではとてつもない足跡を刻んで来られた大先生で、現役の治療家です。

先生の整体指導は一回三万円也で、これは誰が相手であっても一切値引きなどはされないのだそうです。

ある時、先生の娘さんの同級生が若くして癌になり、お医者さんにも「もう助からない」と宣告されました。同級生を助けてあげたい娘さんは、日本最高峰と言われる父の療術に一縷の望みを託して「彼の身体を観てあげて」と先生にお願いしました。

御学友は貧乏学生です。一回三万円也を、ガンが治癒するまで何度も払い続けるだけの経済力はありません。懇願する娘さんに、先生は「私は誰が相手でも値引きして治療などしたことはない」と告げられました。そして、一度でも二度でも来られるだけでも来たいと言うのなら私は指導する、と付け加えたそうです。

梃子でも動かない井本先生の言葉を級友に告げたところ、彼は何とか三万円を用意して本当に一回だけ操法を受けたのだそうです。そして家では先生に示教された体操に真剣に取り組んだ結果、彼は快癒したのだそうです。

真剣な取り組みは、しばしば奇跡を生み出す。彼がもし三万円也を簡単にひねり出せる立場の人であったとすれば、結果はどうだったでしょうか?一回の操法と指導でそこまで良くなるのならば、何度も通える人は凄いことになっちゃうのでしょうか??

そうですね。三万円を簡単に払える人は、そこまで真剣に取り組めないでしょう。真剣勝負は一回きり。負けたら後はない。娘さんの級友は、必死の思いで三万円を作り、必死の思いで操法を受け、整体指導では一挙手一投足に全身全霊を注いだのでしょう。

そして、恐るべきはそのような人間の生命力を引き出してしまう井本先生です。私が同じ立場なら情に負け、結果、その彼の生命力を引き出すことは出来なかったでしょう。

ちなみに私、何度か先生の御尊顔を拝したことがありますが、武術家でもあれだけの気迫と洞察力を持った方は、殆ど思い浮かばないですね。

武術だ武道だと言ってみても、現代の日本では本当の意味での真剣勝負は出来無い以上、格技の技術の稽古だけでそのような境地に達するのは、なかなか難しいでしょう。

しかし、私も武術家のハシクレとして、真剣勝負を前提に生命の炎を燃やして心身を練り上げるような稽古をして行きたい。そして、武を追求する過程で得たものを社会に還元して行こう。

健康な身体を持ち、平和な時代に素晴らしい武の世界と良き師・仲間に出会えたのは、本当に幸せなことなのです。そんな出会いを与えてくれた天の恩に報いる道は、それしか無いでしょう。