我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

グローバルスタンダードと目利き


家内は最近ユーチューブで踊りをよく観ている。昔は空手や太気拳をやっていた家内だが、腰椎の調子がおもわしくないため、今は武道を中断し、コンディション作りの延長でダンスを始めてしばらく経つ。

最近はベリーダンスに興味があるようだ。ベリーダンスの人気ダンサーと言うアメリカ人姉妹の映像を観る。なんか変。踊りというよりエアロビクスみたいなエクササイズだ。

ヨーガの世界でもニューヨークあたりでパワーヨーガなんてのが流行ったが、あれと同じようなテイストを感じさせる。

ヨーガにしてもベリーダンスにしても、東方のものであることを示すがごと「内観力を基盤にした微細な身体の意識」がそのパフォーマンスを成り立たせているものであろう。

ひるがえってアメリカ人のダンスやヨーガにはそれが感じられない。常に白か黒か。イエスかノーか。グレーゾーン、すなわち微細な意識を土台にした微妙な動きはない。

家内によると、色々な芸事がアメ公にかかるとこうなっちゃうらしい(笑)。

何でも誰にでも分かるように標準化してしまう。“見える化”である。これがグローバルスタンダードへの道なのであろう。演じる者のみならず、客にも“目利き”を要求するのが東方の芸事である。

見える化”からは目利きは育たない。そりゃそうだ、観の目を養う修練をして居ないのだから!だから、アメリカ空手の型の試合なんてひどい型が続出する。二段蹴りから前後開脚で着地する、という意味のない型が存在する。

そう言えば、不二流体術の大嶋宗家が先代宗家とアメリカ中の武術家が集まるコンベンションに参加した際も、一番拍手が多かった演武はフライングクロスチョップをやる流派のものだったと語っていたな。

太気も西洋スポーツ式に競技化したら、どんどん目利きが居なくなって“当てっこ”、すなわちフェンシング化・スポチャン化が進むだろうな。フェンシング風味のタッチ組手と、腰が入った打ちを“当て止め”するのは似て非なるものだ。いや、似ているとすら言い難い。

ま、俺には縁なき衆生なんだけれどな。