我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

和魂あればこそ

家内が縁あってモダンダンスの先生に教えを受けている。90歳にならんとする大先生は「磁場」「丹田」「地球に真っ直ぐに立つ」「気」が口癖だそうな。

なんだか、立禅の解説みたいだの。

んで、この先生のご著書をAmazonで取り寄せたので借りて少し斜め読み。


内容は、というと・・・いやはやなんだかダンスというより、東洋の養生法みたいだね。

用語ひとつ取っても、ストレスとかコンディショニングとかの外来語を安易に使わず、「心が構えてしまう」とか「手当て」という言葉を使われている。


良い意味で期待を裏切られました!戦前から「舶来」のモダンダンスをされていたのだからさぞ西洋かぶれ(←死語!)なお方かと思うじゃないですか。

それが西洋のものを学んでも、その技法を日本人の心、すなわち「和魂」で捉え返している。和魂洋才ですな。

優れたものであれば西洋の芸事をも学ぶが、それは西洋人になるためでも追従するためでもない。大上段に振りかぶって言えば、よき日本人になるために大先生はモダンダンスを学んだ、と。

ここが大事なんだと、ワシは思うよ。太気拳だって同じじゃないか。


澤井先生は、站椿(タントウ)とか試力とか摩擦歩という中国の武術用語を、立禅・練・這・・・という具合に日本語で捉え返している。

その理由は色々あるだろうが、日本語にて読み替えた瞬間に日本人の身体感覚で捉え返すことになる。


太気拳の技法の根幹は中国武術(大成拳=意拳)であるが、その風格は、大陸の智の武術から日本的な“情”の武術にならざるを得ないのではないか。

そうでなければ、いつまで経っても日本人の修行者は中国の後塵を拝したままで終わるであろう。

少なくとも、私はそれを甘んじて受け入れるほど老成していない。


私は中国武術を源流として敬意を表するのにやぶさかではないが、それを認めたうえで太気拳の本場は日本であると言い切りたい。


澤井先生から数えて三代人である我々は、拳法に関する限り「和魂漢才」の精神で修行して、大成拳に匹敵ないし凌駕する太気拳を創り上げてこそ、志高き武道修行者と言えるであろう。