我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

澄んだ瞳

サハラ砂漠にて



早いもので、今年も残すところあと2ヶ月となりました。

思い起こせば昨年の今頃は、私は、日本から数千キロ離れたアフリカのA国に滞在して居たんですね。もう1年も経ってしまいました。

10月に日本を発ち、正月に帰国。3カ月の滞在でした。不便で娯楽が少ない国ながら、それなりに面白かったです。不在の期間は先輩で後輩のYちゃん支部の指導をお願いしていたんだっけな。その節はお世話になりました。

こんなご時世ですから海外出張はしばらく無いでしょうが、次回、このような事がある時には、黒帯になっているであろうM君にも指導をお願いしましょう。

私も40歳を過ぎて居ますから、海外に滞在したくらいではさすがに人生観が変わるなんていうことはありませんが、イスラム圏の後進国で経験した文化圏の違いは、なかなかインパクトがありました。

なにしろ全てが「アラーの神の思し召し」です。よくも悪くもインシャラー。飛行機が飛ばないのも、断水が何日も続いてしまうのも、仕事が無いのも、遅刻するのも・・・全てインシャラーです。

この国は、都市部を除いてほとんどの地域が北海道の大平原状態。行けども行けども目の前に広がっているのは、雄大なる平原か砂漠です。そうそう、サハラ砂漠の旅も経験しました。

栄えある(?)サハラでの立禅一番乗りは、私かも知れませんね。

サハラで生活するおじいさんとそのお孫さんには、美味しいお茶を御馳走になりました。何時間も車を走らせなければ、日用雑貨の買い物すら出来ないところに、何十年も住んでいるのだとか。

連れ合いはとうに亡くなり、子供たちは町に出てしまっても、動く気は無いのだと言います。どうして、と問うと「ここでアラーの神のご加護を得て生き、死んでゆく。それでいい。わしはバカなんだ。ははは」と澄んだ瞳で答えてくれました。

厳しい自然の中で凛として立つ時、人は己の無力さと、神への畏れを自ずから知るのでしょう。

文明に浸りきって生きている我々ですが、稽古をするときだけでも自分の心を掃き清め、砂漠にすむおじいさんのような澄んだ瞳を取り戻すことが出来たら良いな、と思っています。