我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

父性愛と母性愛

絶品ラーメン&餃子@田村屋


知人で面倒見がよく優しい人が居る。知り合いが困っていると家に呼んでやり、話を聞いてやったり相談に乗ってやったりと、とにかく忙しい人なのです。

転勤者が結構いる土地なので、自分で企画をしてイベントを開催してはそういった人たちが馴染むようにと面倒を見たりもしている。家内は時々、その手伝いをしているようなのですが、最近はあまりそこへは出掛けないのだと言う。

聞いてみると「なんだか砂漠に水を撒いているみたい」とのこと。面倒を見てもらうことに慣れきって、とにかく人にすがり付く連中が多いらしい。

件の知人も疲れきっているようだ。なにしろ「次はいつ(イベント)やるの!?」と聞いて来るが、手伝おうという姿勢の人間は皆無らしい。

中には、本人に直接言うのが気後れするからと、子供に「パーティーいつやるの?」と電話をかけさせる者まで居ると言う。あほか!そりゃ、実家に援助をねだる出来の悪い輩の手口じゃ!

面倒を見てもらって助かったから、次は私が少し手伝うわ・・・とはならないらしい。やってもらう、助けてもらう、泣きは入れる、挙句の果てに要求はする。凄いですね。私の周りには居ない人種だ(笑)。

別に件の知人が面倒を見ているのは心身に障害を持つ人とか、身寄りのないお年寄りなのでは無い。五体満足で旦那さんも上場企業に勤め・・・といった方がほとんど。

私は「自ら助くる者」としか付き合わない。自助努力をしている人間のお手伝いは、出来る範囲で多少することもある。

知人は「そこまで行けない人は誰かが助けなければいけないから」というスタンスらしいが、五体満足で経済的にも問題が無いのに自らの足で歩けない人間は、所詮、歩きたくないんだから、放れば良いんです。

まぁ、心が風邪をひいた、というくらいならちょっと休めばいいでしょう。私だってそんな時はあるし、そう言う状態の人がいたら、飯ぐらいはおごらんでも無い(笑)。

でも、知人の取り巻き達みたいに依存心の強い人間は、そもそも脳幹が弱いので、ショック療法でそれを叩き直さない限り、絶対に治らない。アタマではなく、ココロ、いや、タマシイのレベルでそういう状態を作り上げて居るのだから、優しくしても無駄なんです。

社会が優しくなればなるほど、こう言う横着な人間は増えます。弱くても人に依存して居られる社会になれば、強くなる必要性が無いからです。いつか自分が強くなって、かつて世話になった分、誰かに優しくしよう、と考えられる人間は少ない。

強ければ、余力で困った状況にある人を救うことが出来る。しかし、弱さからは、そして弱さに留まる心からは、善は生まれない。

私は父性愛の原理で生きる。困難に出会って尻尾巻く負け犬は見捨てる。しかし、たとえ勝ち目は薄くても立ち向かう人間は応援する。

もちろん、知人のような母性愛の原理で生きる人も必要なんです。でも、それは一時の気休めであり、気が休まったら巣立つべきところです。居心地がいいからこそ、留まってはいけない。

社会全体が過度に母性愛を求めるようになったら、国は滅びますよ。さて、新政権のお手並み拝見ですね。


<追伸、小島支部長殿>
貴ブログ拝読しました。 http://plaza.rakuten.co.jp/seisyunnokage/
富山へは組討を「学びに」伺います。私が「ご指導」仰ぎに行きます。そこんとこ、よろしくです!