我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

練武の志

本日は終戦の日ですね。

大東亜戦争尊い命を捧げてくださった英霊の御魂に、あらためて、心よりの御礼を申し上げます。そして、非戦闘員でありながら、米国の無差別攻撃の犠牲になられた多くの方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

靖国神社には時々参拝させて頂いておりますが、現在の日本の繁栄はこうした方々の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならないと、お参りするたびに自分に言い聞かせています。

戦争についてどちらが良かったの、誰が悪かったのということについては色々な立場の方が居られますし、私は戦争に関する全ての文献を読み、すべてを知った上で神の視座に立ち善悪を述べる、というような立場にありません。

また、論陣を張るほどの実力もありませんが、祖国の国体を護るために戦って下さった方達が、「良い国になった。身命を賭して戦った甲斐があった」と言って頂けるような社会を築き、その良き一員たらん、と心掛ける次第です。

さて、私は終戦の日はTVを観ない事にしています(普段の日もほとんど観ませんが)。大東亜戦争の反省と平和への祈りを繰り返し聞かされることに少々閉口するのです。日本は悪かった、戦争はダメです、という“印籠”が出たら、皆、思考停止。

日本の過去の過ちをを反省することも必要でしょう。しかし、すべてを洗い出し、過不足無く判断するなんて不可能なのです。まして戦後60年以上経って、当時を知る方も鬼籍に入られていることが多い。
当時の社会情勢や国際情勢に照らし合わせて、絶対に間違いない検証、出来るんですか?

この国を嫌いな日本人が多数居られ、奇妙な発言を繰り返す。検証もしないで「日本が悪かった」という記事を書きまくる。一例だけ挙げれば、売国奴本多勝一の発表した「百人斬り競争」なんてその最たるものでしょう。

詳細は述べませんが、本多の記事で遺族が犠牲者になっただけに、これは切腹ものですよ。反日日本人のペンの暴力はどこまでも許されるんですか?最低限、ペンを折るのが礼儀です。本多はまだペンを捨てていないのでしょう?

過ちが無い国などあり得ない。個々の人間自体が完全無欠などとは程遠く、それこそ矛盾だらけなのだから、人間が作る国家が矛盾に満ちているのは当たり前なのです。コケつまろびつしながら、それでもその中での最善を探って行くしか無い。

もちろん過ちを塗湖してはいけないですが、過ちがあったとして、それを全て謝罪し補償するなんて出来るわけないですよ。そもそも補償って、誰がどこから金を出すの?まさか私たちの税金からではないですよね?私が誰か拉致したり強制労働させたりしましたか?

反日日本人に言いたい。銭払いたければ、お前の財布から出せ!俺に金を出させたかったら、俺個人に直接取り立てに来い!税金から払わせようなんて姑息なこと考えるな!俺の税金は、額に汗して稼いだ金から、この国のために納めたものだ。

腐れGHQは、終戦と同時に修身と武道教育を日本から奪った。

私の父は小学4年生で終戦を迎え、教科書に墨を塗らされ、大人たちが米国礼賛に転じるのを目の当たりにして「俺は負けていない!」と練武の志を新たにしたという。

父に反抗し続けた私であるが、その想いだけは受け継ぎたい。平和は尊いものであるが、唱えるだけでは実現しない。毅然とした日本人に、私は成りたい。毅然とした日本人が増えれば、自然と良き社会・良き国家になって行くことでしょう。

私にとって、その土性骨を練り上げるのが“武”の修行なのです(・・・まぁ、実際のところ「単純に武道が好き」というのが第一なのですが)。


【補足】
上述の通り、私は何が正しく善であるかを神の視座で捉えて断ずる立場には無く、その意図もありません。また、(おそらく)右でも左でもありません。

本論は島村個人の想いであり、至誠塾を代表する意見でもありません。私の友人にも私と異なる立場の方も多くおります。したがい、本稿はそれらの方々に対し論陣を張るものでもありません。

その点、ご了解いただきたく宜しくお願いいたします。


乱文かつ長文、失礼しました。