我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

掟(おきて)

問題の?A国のコイン



今日で夏休みが終わりです。小山支部の日曜稽古会も少人数ながら予定通り開催し、諸々の予定も一応形をつけて、明日より“社会復帰”です。


本日も、やや重たい話題を書きます。


昨日の日誌にやや政治色のあるテーマを書きました。私個人は政治的な活動をする意思も能力もないので、立場・見解が異なる人とも個人的なお付き合いをさせて頂いています。

また、政治・宗教に関する議論は自分から仕掛けないというのが私のスタンスであります。とは言え、自分のブログですので、私の立ち位置について述べさせて頂くこともある、というだけのことです。今回もその続きを若干書かせて頂きます。

昨年滞在したA国での話。私がA国を去った後、インフラ整備プロジェクトで働いていた比国人のスタッフが逮捕されました。容疑は通貨偽造罪国家侮辱罪

A国の通貨の真ん中を繰り抜いて遊んでいたのを、現地人が警察に密告したのだそうです。くり抜いて遊んだとは言っても、この通貨、写真にあるように2層になっており、衝撃で簡単に真ん中部分が抜けてしまうことがあるのです。

真中が抜けた外周部分を比国人は“指輪”のように指にはめていたのを、見られたらしいのです。

現在、件の比国人は未決拘留中のようですが、裁判で有罪が確定すると2つの罪状の合計で10年の懲役が科せられるとのこと。特に、国家侮辱罪の部分が大きいようです。

個人的には、保釈金の支払いなどといった“寛大な処置”がなされることを、彼と彼の家族のために祈っております(ちゃちなコインのお陰で10年喰らったらたまりませんよ)。

A国の例が特殊かどうか、他の国家はどうなのか、ということはよく知りませんし、掘り下げて調べる気もありません。ここで重要なのは、「国家を侮辱した」とみなされたら、国によっては断固たる処罰を加えることがある、ということです。

組織・共同体に身を置く以上、その“掟”から大きく逸脱する行為は許されないわけです。その掟自体が間違っているか否かは、議論の対象にならないのです。

何が正しいのかは、立ち位置によって異なる場合が多く、それを論じていたら政治も組織運営も成り立たないからです。大人の社会は学級会では無いのです。囚われの身になってから、いくら“掟”そのものの間違いを論じたところで、後の祭りなのです。

左翼陣営には、卒業式に国旗を掲げることの是非を論じている方が随分と居るそうです。そんな方に提案したいのですが、あなた方の好きな支那北朝鮮でも同じ話をされてみてはどうでしょうか?

国旗は国家の代紋ですよ。その代紋が気に入らないのであれば、日本国民をお辞めになったらよろしいでしょう。単純な話です。支那や北の代紋でも背負いますか?

どこの代紋も背負うのがいやなら、いわばグレン隊にでもなりますか?すなわち、ジプシーのような流浪の民です。私はいやですね。欧州で彼らがどのように扱われるか、この目で見ましたから。

国家の理念や掟を一度決めたならば、あくまでそれを断固として掲げて行く。そして、見直しが必要になればそれはその時に議論する、というのが正しい在り方でしょう。それが“正”とされている間は、あくまで“正”なのです。論じる場さえ無い、となれば、それは大問題ですが。

本当のところ、私は酋長や長老が「ま、話を聞かせて見んかい」とやってきて“落とし所”を提案して治めていくような国家運営が理想だとは思います。でも、一定規模の国家になった以上、そのような運営は不可能です。

世に言う大企業は、数千人からの社員が居ますが、数千人とか数万人程度の集まりでも、派閥やら何やらが生まれるのですから。

いまさら酋長の治める社会には戻りようが無いですし、国家として国際社会で他の国家と対峙する以上、悲しいことですが一定の非情さも必要になるでしょう。難しいですね・・・。


偉そうなことを書きましたが、私程度の人間に出来ることといえば、(勤労は勿論のこととして)武道の稽古で得たことを稽古に来て下さる皆さんにお伝えして、健全な心身を築くお手伝いくらいでしょうか。

太気拳の稽古で健全な心身を築きあげ、豊かな人生を歩んで頂ければ、幸せですね。