我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

魂を入れる 〜お受験を嗤う その3〜

三つ子の魂、百まで。彼の三歳のころは知りませんが、すくなくとも有名私立中学に入学する準備を始めた小学3年生あたりには、その魂の萌芽が見られたはずです。

ということは、20年近く心から信じて練り上げた生き方ですから、人に言われて多少気付き始めたくらいでは、簡単には変えることはできないのです。

かつて教えを受けた武術の先生は、不心得を責められて「改心します」といった生徒を「改心など、簡単にできるわけないでしょう!思っただけで心が改まるくらいなら、誰も苦労はしないんです!!」と烈火の如く叱りつけたことがありました。

「・・・だからね、改心する、ということは人生を左右するくらいの出来事なんですよ。それほどの外圧、もしくは自分の中に切羽詰まった要求がなければ、人は変わりません」

私は変わりたい、と言いながら三つ子の魂をチラ見せする彼に言いました。「そうか。まぁ、お前がそう思うのも勝手だよ。だけどな、軍隊は理屈じゃねぇぞ。お前は幹部候補、と言うけれど、上官が誤った指示を出せば部下は死ぬんだ。お前の部下は、お前がついて行ける人間か否か、本能的に見抜く。権威だけで君臨することが出来ると思ったら大間違いだ」

そもそも、そんな甘い考えは新人研修の際に見抜かれ、徹底的に叩きなおされるだろう。そう言って、私は彼を送り出しました。

入隊して新人研修が始まると、毎日毎日、自衛隊体育学校の屈強な教官にケツを蹴り上げられながらの訓練が続いたそうです。月に数回、涙声で電話がかかってきました。

「キミの言ったとおりだったよ。同い年の教官に徹底的にしごかれるんだ。来年はお前らは俺の上官になる。だから、今のうちに徹底的に根性を叩き直してやる、って」

何度も彼を励ましているうちに数カ月が過ぎ、彼が帰省してきました。びっくりしました。入隊前90キロを超えていた身体は75キロ程度に絞り込まれ、たくましく日焼けして別人のようになっていました。

一緒に飯を食ったのですが、話題までが体育会系になっています。自信がついたようだな、と水を向けると、「今なら島村君にも負けないかも知れない」と胸を張ります。

思わずモルツを吹き出しました。まだまだ痛い目に遭い足りないようです。「お前、大怪我するぞ」そう言って彼を制し、無事に飯を終えて帰宅しました。

数日後、呼び出されたので出向くと、あにはからんや、明らかにパンチを受けたといったふうの痣だらけの顔になっているではありませんか。「予言が当たったようだな。どうした」と聞くと、歌舞伎町でその筋の方にやられたとのこと。

肩が当たったとかで呼び止められ、自信たっぷりに向かい合ったところ、そのご仁、歩み寄るといきなり彼の顔に手を伸ばしてサングラスをつかんで放り投げ、気を取られた隙に右ストレート。倒れた彼に躊躇ないヤ●ザキックを入れてきた、ということでした。

彼としては、仇を取ってほしかったこと、そして格闘訓練も受けたことのないチンピラに完敗した理由が知りたいということだったようです。仇打ちに関しては「NO」、そして、後者の敗因については、そこにお前の生き方の問題点すべてが出ている、と断言しました。

戦いが始まった以上、サングラスなんてどうでもいいんです。

俺なら、眼鏡に手がかかった瞬間に一撃入れている。眼鏡の代金なんか、喧嘩に勝った後、取れば良いんだ。俺は鍛えている、という驕りがお前にはあった・・・。

学校のお勉強は問題を教師が与えてくれて、それが解けるやつが優秀とされている。だけど、世の中は「何が問題なのか」を自分で発見し、解答を出さなければいけない。受験エリートってやつには、それがわかっていないだろ。

おまえは軍人のはしくれなんだから、戦うとなった以上、善悪より何より勝つことだ。戦いに対する心が全く出来ていないでテクニックやらトレーニングを問題にしている。決意が先で、テクニックはそれを支えるツールに過ぎないんだ・・・。

彼は、黙って聞いていました。そして深くうなずき、軍人として自分が出来るところまで、とことんやってみる、と言いました。

数年後、年々厳しくなる体力検定基準を満たすことが出来ず、ついに除隊しました。

「(体力検定を通過できなかったことは)悔しかったけれど、この数年、本気になって自分と向き合えたことが、財産になったよ」

そう語る彼は、やっとのことでお受験の呪縛から脱却できたのでした。すでに30歳を過ぎていました。長い紆余曲折の末、彼は男の表情を手に入れたのです。

彼は、それでも気づく事が出来たわけですから、幸運な部類とも言えます。机上の計算で生きることに長けただけの人間の多くは、遺伝学上は男として生まれながら、ついには男になることが出来ずに一生を終るのです。

そんな人間が真のエリートと呼べるのでしょうか?

(この項、終わり)