我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

魂を入れる 〜お受験を嗤う その2〜

十数年前、友人の一人から電話がありました。相談があるので、時間を取ってくれないかということなので、時間を取って都内に出向きました。

彼の相談とは就職のこと。大学院を出ており、高校の非常勤講師をしているが、なかなか正式な教員になれないのだとか。本人的には、教師や学究の道に進みたかったようであるが、断念し、他の道に転身するのだということで、既に社会人になっていた私に客観的な目でアドバイスをくれ、ということでした。

本人曰く、転身するからには思い切って違う道に行きたい。自分は勉強勉強で生きて来たので、世間が狭いのだと殊勝なことをいうわけです。

話はさらにさかのぼり、高校時代。当時、都内有数の一貫教育の進学校に通っていた彼は、とにかくやたら屁理屈を捏ねる男でした。勉強が出来、家も多少裕福であったことを得意がるような鼻もちならないヤツでしたので、私は彼を相当にイジメました。

なぜこんな鼻もちならない男と知り合ったのかというと、高校時代に東京都の姉妹都市であるニューヨークに費用は東京都持ちで“親善使節”として半月間派遣される、という企画があり、しゃれで試験を受けた私が、何かの間違いで通ってしまったのです。彼とはそこで知り合ったわけです。

当時やつは東大進学を目指しており、口癖は「君らとは出来が違う」でした。親善使節として現地の高校生と交流をもつのが目的なのに、やつは8時になったら部屋に引きこもり勉強を開始するのです。

もちろん、電話とノックの波状攻撃で勉強なんかさせません。当たり前です。せっかくNYくんだりまでやって来て駿台のテキストなんか開いている奴はモノホンの阿呆です。

さて、それが効いた訳では無いでしょうが、彼は東大は見事落ちて他の大学に行きました。この大学も世間でいう一流校ですが、彼的には最初の挫折だったようです。挫折を知った彼は、そこから、少しずつ真人間に近づいてきたこともあり、彼と私は少し仲良くなりました。

「・・・お前、自衛隊には入れや」私がそう言うと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になりました。一気に畳み込むつもりで続けました。おまえの人生はすべてが机上の計算だ。違う世界に飛び込むなら、思い切れ!決断の時だ。いままでのおまえはもう死んだんだ。

そして最後におごそかに言い放ちました。「俺を呼び出してアドバイスを聞いた以上、逆らうことは許さない」

しばらくして、自衛隊に入隊することを決めた、という朗らかな声で彼は電話をして来たのです。これには結構びっくりしました。だって、上記の「逆らうことは許さん」発言はほんの冗談だったのですから。

大卒扱いで入るとは言え、自衛隊は入隊時は勿論、入隊後も頻繁に体力検定があります。彼には早速体力トレーニングに取りかかるように指示しました。

ところで、おまえベンチで何キロ挙げるんだ?とそれとなく聞くと、30キロが挙げられないなんてことを言うではありませんか!バカじゃねえの!!死ぬ気でやれ!

ちなみにベンチ云々は枕詞であって、正直なところ入隊試験にベンチプレスがあるかどうかは知りません。それに私自身はウェイトトレイニングに関する知識も経験もありません。まー軍隊ですから、腕立てはあるでしょう。やって損はないはず。私に怒られて彼はしぶしぶシャフトだけ(!)のベンチプレスに取り組んだようです。

紆余曲折があって、彼は無事自衛官になりました。入隊前に国防の任に当たる者としての決意表明をさせるべく呼び出したところ「俺、幹部候補生で鉄砲撃たないから♪」とまたまた舐めた発言です。

「おまえな、仮に前線に出ないにしても、昔から“弱将のもと、勇卒なし”と言うだろう」私はあきれ果ててしまいました。昔の人は言いました“三つ子の魂、百まで”と。

少年時代から試験勉強と机上の計算だけで生きて来た男は、軍隊に入ろうと言うのに、その魂は入れ変わらないのであります。

(つづく)