我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

魂を入れる 〜お受験を嗤う その1〜

最近、お受験の話を聞いた。

一部の有名私立小学校の中には、伝統行事や文化の見直しを標榜し、入試においても重要視する学校が増えているのだとか。例えば、面接試験で「一家でどのように年中行事を行い、過ごしているか」といった項目を問う学校が増えているといいます。

具体的には、ひな祭りはどういう行事で、家族でどのように準備して桃の節句をお祝いしたか、という内容だそうな。

小学校を受ける子供だと、体験からあまりかけ離れた作り話は出来ないから、お受験を控えた家族は実際に桃の節句なり、端午の節句なりをそろってお祝いしなければならない。

ところが実際にこんなことをキチンとやる家庭は今や少数派であるから、お受験塾にバカ高い月謝を払って、(勉強だけでは無く)それらのことを指導してもらって受験対策するのだそうです。

そして、お受験が終われば桃の節句端午の節句もきっぱりやらなくなっちゃう。せっかく行事をきちんと習ったのであるから、日本の伝統行事を見直して家族の行事として定着させて行こう、とはならないらしい。

まぁ、言うなればその場しのぎ。仏作って、魂入れず。形骸化というやつですな。私の知る限り、基本的に受験秀才というやつはこのタイプが多い。魂を入れない訓練、すなわち実感の伴わない知識の集積と屁理屈訓練を子供の時からやっているんだから、大人になった時には立派なクズになり下がる。

まぁ、それだけなら個人の問題なんだけれど、問題はこう言う連中がトーダイに入って、コーキューカンリョーなんぞになっているんじゃないかっちゅうことです。

感性の薄っぺらな、合理化という名の屁理屈だけが得意な人間がトップに立つとろくな事がない。ひとの痛みが分からないから、社会格差を広げてみたり、自分の権益を守るために支那や北鮮に媚びを売る売国奴と化してみたり、トンデモないことばかりやらかすわけ。

さて、私の知人にもこの手の私立校に子供を入学させた者がいます。東大京大などへの進学率の高さとセレブ度の高さでは有名な学校。知人の子弟はというと、運動神経の悪い肥満児。いつも最新式のゲームソフトを持ち歩いていて、早口で甲高い声で屁理屈をこねるタイプです。

昔なら公立校に入れればこういう子を“揉んで”やる同級生(←ワシや)や上級生がいて、まがりなりにも人間らしくなる可能性も残されていましたが、私立校に入れた時点でアウト!ですね、たぶん。

机上の計算で生きて行くというのならご勝手に、ですが、官僚や政治家を目指すようであれば阻止しなければなりませんね。

かつてある事情で同じような子に空手を教えた経験がありますが、まぁ、ダメですね。二言目には聞きもしないのに出来ない理由を合理化して言い訳するわ、いちいち練習の意味を聞きたがるわ、達人伝説だけは良く知っているわで、一緒にいると気が狂いそうになりました。

上述のように、子供の時から「仏作って魂入れず」を実践しているんだから、二十歳過ぎたら廃人に近いですよ。

私は魂を入れずに仏を作ることは出来ません。だから勉強も身に着くのが遅いですし、武術も妄想で達人技をひねり出すことは出来ません。

審査会のための稽古だとか、見せるための稽古、なんていうことも出来ません。丁寧に基本から一歩一歩やって身に沁みるまでやるだけ。

でも、この身に沁みると言う経験無くして武術は成り立ちません。「身に沁みる」、「魂を入れる」という経験の積み重ねが武術的な心身を作るのだと考えています。

そして武術的なこと云々より、真っ当な人生を歩みたい人、ましてリーダーになる人間には必須の要素ではないでしょうか。

(つづく)