我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

正しい姿、正しい形、正しい心

今日の日曜稽古会で、久し振りに組手を行いました。GWに負傷して以来、2ヶ月以上組手をしませんでしたが、それなりに相手を引き出すことが出来たと思います。

至誠塾本部道場での少年部空手の指導では組手をやっていましたが、こちらはあくまで少年相手ですから、太気拳で組手をやるのとは意味合いが違います。

我々の太気拳は武術ですから、激しい運動を行えば良いというものではなく、真剣に相手を想定した稽古とその検証が不可欠です。

太気拳では、というより武術では「勝つことより負けない事」を重視します。格好よく勝つことよりまずは害されない事、これが大事。至誠塾でも「パーフェクトディフェンス」という言葉が幾度となく聞かれます。

しかしながら、これは逃げ回って居れば良いということではない。心と技と身体を居付かせずに堂々と相対し、自分の守るべき空間を制御して状況をコントロールすること、と私は解しています。

逃げ回る人間には必ずパターンが出来ますから、潰す気になればそのを裏を取って潰せば良い。ただし、仲間うちの稽古では怪我人を出さないために敢えて攻めないだけです。

それゆえ、自分がいわゆる“三処避け”を行っていることを気付かないことが往々にしてあります。気づくと暗黙のルールを利用した組手になってしまう。

これは大なり小なり誰もが陥る可能性のあること(私も含めて)。ですから、組手稽古の際、私は自戒を込めて“御用提灯”や“三処避け”をやらないこと、をうるさく言います。

三処避けは卑しい心を作ります。「心正しからざれば、剣(拳)、また正しからず」です。稽古は肉体面や身体操作だけではなく、精神面についても吟味して行うべきで、そうでなければ武術として害意ある者を制圧することなど出来ない。

和やかな雰囲気も大事ですが、やはり凛としたものがないと精神がダレる。ダレた精神で暴力を前にして己を通す心技体をモノにすることはあり得ない。上述のパーフェクトディフェンスは相手に立ち向かう気力があって、初めてなしうることです。

まずは気力です。そして正しい姿勢。攻めの心と正しい体構えがないと、相手はどんどん前に出て間合いを潰してきます。今日、組手をやったM君にはそのことを注意し、また、多少打ち込みました。

二度目の組手では、多少、改善が見えました。これは簡単そうでなかなかできない事です。彼の良いところは、この素直さです。素直が一番です。

我々は自分がまだまだ弱い、足りないと感じるからこそ稽古をしています。道場はそのような神聖な場であって、妙チクリンな格好や言動で自己主張する場ではありません。

素直に自己を見つめ、心技体を練り上げて行きたいものです。


「稽古は正しい稽古をする。正しい稽古の根本は正しい姿、正しい形、正しい心を持つことです。インチキしてでも勝とうなんて論外です。そんな稽古を何べんやってもだめ。
つまり速成で上手になろうと思うことがいかんのよ。上手にならなくてもいいから稽古するという、へりくだった気持で稽古していれば、いつの間にか上手になる」
(剣道八段範士・大祢一郎先生 - 故人)