我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

武術と格闘技 - その2

身体にとって不自然なことでも、勝つためにあえてやらねばならないことも多い。リングでしか使用できない技術であるとか、それを支える鍛練であるとか。そもそも多くのファイターにとっては、リングに上がるための手続きである体重調整そのものが不自然きわまりない行為だ。

極度の減量は身体を蝕む。私がボクシングの練習をしていた頃、「風邪をひいたら練習に来るな」ということを徹底して注意された。減量中の選手は簡単に風邪をもらってしまう。

極端に体脂肪率が低いと、確実に免疫力が落ちてしまう。ギリギリまで絞った体に憧れる人は多いが、動きを妨げない程度に脂肪があるのが健康体というもの。

健康体とは自然な心身であるということ。武術家は自然を尊ぶ。不自然な稽古を長期間に亘って行えば、肉体(と時には精神まで)を蝕んで行く。

自然とは調和であり必然性です。蹂躙のみを目的とした必然性のない戦いを繰り返す武術家は、外道の誹りを免れない。外道はいつか自分に敗れる。

組手や試合で反則や暴走することを自慢気に語る修行者がいますが、何も分かっていないですね。そもそも試合にしても組手にしても憎くない相手と戦う訳ですから、そこにお互いの修行のため、という「物語」を添えて成り立つものでしょう。

修行だから、“三処避け”などやらず堂々と試合えばいい。例えばダッキングの多用は、ボクシングなら正当な行為ですし、“カメ”も競技としての柔道ではアリでしょう。しかし、太気拳ではいずれも不可です。組手でのその場しのぎにはなっても、“戦い”では墓穴を掘るからです。

組手は武術の稽古の一つではあっても、戦いそのものではない。当たり前と言えば当たり前ですが、これを理解しないと、“組手で相手より多く叩くこと”が稽古の目的になってしまい、本来の武術からはどんどん遠ざかることになる気がします。