武術と格闘技 - その1
先日の水曜稽古会は立禅のあと練を一通行ってから拙宅の稽古場に移動し、足腰の備えと力の出し方の基本を稽古しました。最後に推手でそれらを検証して稽古会を終了。
稽古後は居間で夕食を摂りながら、先日の合同稽古会(5/3)で行ったM君と私の連続組手の動画を観て反省会。
M君の組手は東京の先輩たちに褒められていましたし、私自身、現時点での彼のキャリアを考えたら上出来だと思っていますが、「よかったね」だけでは反省会にならない。
彼に課した目下の課題は、競技格闘技の戦い方を脱すること。いつも言っているのですが、競技格闘技が悪いというのではなく、武術・武道とは似て非なるものであるということ。
競技は最終的にはルールが「神」であり、ルールに則って勝つために心・技・体をつくる。よく世間で打撃系とか組技系と言いますが、私は武術は究極的にはどちら系でもないと思います。
我々にとって大事なことは、ルールという基準に沿って強さを測定することでは無く身を全うすること。そのためには、打撃とか組技とかでは無く、やるべきことをやるだけ。これは私が空手道を稽古している時からの持論です。
いつも引用する、王郷斎先生の言うところの「拳とは力を奮い起すことである」が私にとっては非常に腑に落ちる武術の概念です。
技術論から言えば、いわゆるキックやボクシング的な攻防の延長線上に、私の目指す武術=太気拳はない(個人的には両方とも、特にボクシングは大好きなんですが)。
ルール上やっていけない事と勝つポイントが決まっているだけに、リングファイトに勝つのは凄い努力が必要です。同時にその努力の方向性には不自然なモノも混じる。何となれば、あくまでルールが絶対の世界だからです。
註)現在の家に入居するまで愛犬・福を預かって下さったMさんから頂いた箱一杯のイチゴ。Mさんの知人の農園で摘んできたばかりだとか。水曜稽古会の後、小山支部一同でいただきました!激ウマでした。