我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

打撃系?組技系?

佐藤聖二先生の遺稿集『太気拳意拳研究ノート』を拝読しております。これまた道の大先達であらせられる佐藤嘉道先生のご著書『拳聖 澤井健一先生』と併読して、稽古の指針させていただいています。旧約聖書新約聖書みたいなものでしょうか?

おこがましいですが先日の組手稽古ならびに、平素から感じていて言葉にできにくかったことについて「我が意を得たり!」という思いがありますので、ご紹介するとともに考察を述べます。

〜以下、引用開始〜
実際に相手との攻防において、接触した場所には相手の力の抵抗が次から次へと発生し、こちらの力の進行を阻止します。この?実”の部分から如何に相手の“虚”の部分、つまりこちらの力の抵抗力が存在しないところを探すかが、“実中に虚を求める”ことで、その練習方法がぶつかり稽古や、塔手、推手の稽古などによります。
合気道などの武術は(私はやったことがないので、正しいかどうかわかりませんが)、この接触時の実の中から虚を見つける、あるいは虚の中から実を見つける練習に長けたものではないかと思います。
佐藤聖二先生遺稿集 『太気拳意拳研究ノート』 P388)

必ず前に出て相手との間合いを制した状態(相手の“実”を捉えて離さない状態)を保ちながら打たなければ(というか、制した状態を保ち続けることが打であり、制することと打つことは別々ではないのですが)、簡単に遮られてしまいます
(同書P391)
〜以上、引用終わり〜

格技の世界で打撃系・組技系というジャンル分けがあります。私(島村)はこの言葉にちょっとした違和感を覚えていました。
競技を学ぶ人たちが口にするのはいいんです。競技の場で優劣を競う以上、自己の取り組む種目のルールを熟知し、その中で最大限の努力をするのが当然の行為だからです。しかしながら、武術・武道を標榜する方々、なかんずく太氣拳を学ぶ・指導する方の口からこの言葉が出るのを見聞きすると、「なんだかなぁ〜」という思いが先に立つわけです。

私自身のことを言えば、実際に総合や柔術の人たちと組手を行い、完ぺきとは到底いえないまでもそれなりの対応をしていた、という思いはありました。しかし、冒頭にご紹介した佐藤先生のような言葉を述べるだけの見識がなかったので、門人はじめ周囲に伝わっているのかどうか、悩ましい思いがあったのも事実。

伝える者は、体現とともに自己の取り組む対象の構造化、そして言語化を進めないといけない!と佐藤先生のご遺稿を拝読して、改めて痛感しております。自己の取り組む対象の構造化があればこそ、社会の移り変わりに応じて本質を伝え、その時代にあった価値を提供することが出来る。
そして、言語化が出来ればこそ、その価値を世に問うことが出来るのだと感じる次第です。

さて、貼付した動画はブラジリアン柔術を学ぶ門人さん(青帯)との組手です。

良い機会ですので、組技の間合いでの攻防を検証してみました。なお、私自身は普段組技の稽古は行っていません。多少組技の稽古をしたからといって組技の遣い手と技のしのぎ合いなどしても、らちが明かないからです。
私が組手稽古で心掛けているのは、立禅の「状態」を崩さずに相手と接触できるか否か。いかに良い状態で接触できるか。こういう技を使おう、打とう、蹴ろう、掴もう・・・などの意図的な行動が通じるのは、自分より弱い相手だけです。

意図的な行動は、自然な動きを阻害する。ましてそこに色気があったら自殺行為です。寝業師に寝技で勝つのは無理ですし、ボクサーとパンチを交換するのは愚の骨頂。

佐藤先生が冒頭の文章で述べておられる境地には程遠いですが、一歩ずつ前進してまいります。


太氣拳尚武館は、太氣至誠拳法(通称・太氣拳)を学ぶ武術・武道の道場です。武道初心者はもちろんのこと、武術・武道・格闘技で伸び悩んでおられる中級者以上の方も歓迎いたします。また、護身・健身(健康づくり)目的の方の参加もお待ちしております。稽古会場:小山市栃木市宇都宮市上三川町。神戸市(支部詳細は:http://taikiken-tochigi.jp/practice/
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 中国拳法の流れを汲む武術。創始者澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

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