我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

真っ向勝負

真っ向勝負(山形支部長 vs M君)


今日は子供の日。普段子供のために大した事をしてやれていないので、今日くらいは世間並みに外食と買い物に行き、柏餅も楽しんだ。

私は少年時代に父があまりに厳しかったので、子供には多少は寛容に接してやりたいと思っている。それでも、子供を甘やかすことは断じてしない主義なので、世間様よりは子供に厳しいことを言っているかも知れない。

私は子供には我慢を教えるべきであると思っている。世間に出れば、まずは縦の関係なのだ。飛び抜けた才能でもない限り、気ままにふるまうなど許されない(いや、その才能とて世間様に消費される賞味期限が過ぎれば虚しく捨てられるものなのだが・・・)。

人間関係に悩んで仕事が長続きしないなどという、贅沢な悩みを持てる能天気な国はそんなに多くはないであろう。少なくともこの国において、不幸というものの要因の殆どは世間にあるのでは無い。世間に揉まれ慣れていない自分自身にある

今朝の日経のスポーツ欄に『携帯との付き合い方』と題して、大相撲の友綱親方(元関脇魁輝)の手記が載っていた。一部抜粋する。

「・・・何でもかんでも当たり前のように与えてはいけない。むしろ少々不便な方が子供も考えるし、苦労して手に入れた方が喜びや愛着は深い」

モノの有難味や愛着心を身を以て教えてあげるのは親の役割であろう。

娘の部活である剣道に関しては、学校の先生や道場の師範を全面的に信頼しておまかせするしかないのだが、こちらについてもバンバン壁にぶつかって悩んで欲しいと思っている。いわゆる“三処避け”などせず、正々堂々たる稽古をして欲しい。

「相撲も同じ。変化して楽して勝った4勝より、真っ向勝負で挙げた3勝の方が先につながる」

友綱親方のコラムの結びの一文である。相撲を太気拳と読み替えても、空手道と読み替えても、はたまた剣道と読み替えても、全て腑に落ちる。

喧嘩に備えるためだけならば、なにも武道などやらなくても良い。しかし、戦いを含めた人間同士の遣り取りは、究極的には「肚」が出来ているか否かである。

武道の稽古を通じて「肚」を練りたいのであれば、そこに至る王道とは、稽古においては何しろ真っ向勝負を心掛けることに尽きるだろう。変化も捌きも往なしも、真っ向勝負の先にあるものだから。