我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

組手と「大人力」

棍法(力の伝達)


昨日の稽古にて小山支部ではM君と私が組手を行った話を書いた。今回はその続きを少し書いてみよう。

34歳のM君は体力的にもなかなか優れたものを持っている。私としては30歳代半ばまでであれば、黒帯になる際には十人組手をこなしてもらいたいという想いがある。

単刀直入に言う。10代から30歳代半ばくらいはあまり技を前面に押し出して戦うべきでは無い。名人戦気取りは止め、エネルギッシュに「気迫」を前面に出して若々しい組手をするべきである。

それはメクラ打ちをする、ということではない。そんなものは論外だ。動きの原理原則はまもりながらも、小細工などせず気合い負けせずに堂々と立ち合うということ。若いうちから“ジジイ組手”をするようだと、名人どころか名手にもなれまい。

武道は一生を通じて稽古して行くべきであるし、それぞれの年代に合った稽古をして行けるものである。私自身は40歳代に入ったばかりだが、生涯を通じて武道を深めている方を何人も見て来ているので、自分もそのように一生関わって行くことに何ら疑問を抱いていない。

20代は20代の、30代は30代なりの、そして40代・50代・60代・・・とその年齢なりの肉体と精神を正面に見据えて「武」を体現する。それでこそ歩んだ跡に「道」になるのだろう。

M君は一所懸命「気持ち」を前に出して立ち合い、先輩たちにその上達ぶりを認められていた。稽古後の懇親会でも色々とアドバイスをもらっていたようだ。

一方私はというと、足の怪我も養生の甲斐あって順調に治癒して、今回の稽古会にこぎつけた。大体満足に動けるようになって来たことから、若手二人の合間を縫って連続組手に参加した。

そこそこに動けたので気分良くなって8回稽古をお願いしたが、これが良くなかった。6人目あたりから違和感を感じていたのだが、8人目に肉離れが再発し、あえなく中断。

先月のブログでは「肉離れでは無かった」宣言をしてしまったが、やはり“キリトリ線”は入っていたようである。怪我の治りは確実に遅くなっている。

組手の内容についても、怪我から回復したばかりにもかかわらず、やや強引な場面もあった。これは「己を知る」が出来て居なかったがゆえの傲慢さが根っこにあり、今回はそれを“身を以て”学ばせてもらったと思っている。

私もM君も老成する年齢では無い。ちまちま縮こまった稽古をするより、失敗を重ねながら、身を以て学ぶということで良いと思っている。

しかし、怪我の治りが遅くなり出したということは、「そろそろ自分と相手、そして周りの状況を読む稽古に比重を置きなさい」ということだろう。言いかえれば、「大人力」に目を向ける、ということだ。

左足の痛みはそれを私に教えてくれている。しばらくは立ち居振る舞いに見苦しいところが出るだろうが、お許しいただくしか無い。良いとか悪いとかでは無く、身体は変化して行くもの。自分の強さも弱さも受け止めることが大事だ。

まだまだ十分焼き直せる健康な心身を持っていることに感謝しながら、それでも20歳代並みに失敗ばかりして行けなくなりつつある自分を素直に見据えて、稽古の年輪を重ねて行きたい。