我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

フィジカル

支部塾生のM君に聞いたところ、元ロッテの立川選手のK−1デビュー戦の相手は大成拳を名乗る選手だったとか。結果は大成拳の判定負け。

自宅に帰りYahooで見てみた。大成拳の閻選手、「大振りのフックのほかは見るべきものも無く、判定負け」だったそうな。

まぁ、しゃあないよ。勝負は時の運だし、見ていないゆえ何も言えない。

ただ、リングに入っての戦いは、多少の技術差よりもフィジカルな強さや体格がモノをいうと思った方が良い。まして、UFCなどのオクタゴンなどは、デカイ選手やレスリング系の選手の為にあるようなものだ。

フィジカルの面で言えば、大成拳の選手より元プロ野球選手の立川の方が確実に上回っているのではないか。

元々、何で技術が語られるのかというと、戦いに肉体の力が占める割合が大きい事、そして、これは鍛えても上には上が居るということが原点である。

身体を鍛える、ということはただ単に筋力をつけるということのみならず、力の使い方まで訓練する事になる。頑なに肉体鍛錬を否定する人って、技も大した事無い場合が意外と多いんだよね。

プロ野球選手は、日本では最高の素材が集まって鍛え上げた勝ち組だ。言ってみれば基本功を相当やり込んだ連中、と言っても過言ではあるまい。それだけに仮に二軍止まりの人間でも、相当な素材だということ。

技術オタク君達は、この辺、よく考える方が良い。ま、達人伝説大好き君は、日本人で良いから、生まれてから死ぬまでもやしっ子のまま名人になった武道家を、探してみるが良い。

植芝盛平翁も、武田惣角翁も、上原清吉翁も、そして太気拳澤井健一宗師も、時期の長短はあれ、頑健な肉体を誇っている時期があった筈だ。だってさ、鍛えないと身体各部に神経が通らないからね。

それを経て武術的身体は出来上がる、ってもんだと思うぜ。脱力っていうけれどさ、そもそも、入らないモンは抜けないやね。

生来、おとなしい人間が悟っても、大した宗教家にはならないだろう、っていうのと同じでないかい?