文化 − 相撲とラーメン その1
「外人力士の語学と番付は比例する」というのが角界の定説になりつつあるとか(日経新聞 3月14日夕刊)。
早稲田大学の宮崎教授によると、外国語習得に必要な要素は ①動機 ②工夫 ③環境 であるそうだ。彼らは相撲で身を立てるというはっきりとした目的があり、共同生活で日本語漬け、肝心の稽古も日本語なくしては語れない、という風に、習得の条件がすべて揃っている。
モノの本によれば、文化の習得のキーは“言語”と“食”なのだそうだ。確かに、これは納得できる。
大相撲の力士は、きちんとした日本語を操り、ちゃんこを食え!ということだ。
文化とはいわばその風土に育まれてきた遺伝子が紡ぎ出すもの。であるならば、色々な方が述べておられるように異邦人が日本文化を習得するのは難しい、ということになる。
日本人が中国武術を習得する、ということもまた同じであろう。日本に居ながら日本の文化と言語に浸ったままでは、はっきり言ってまず不可能だ。遺伝子が異なるのだから。
上述の外人力士の例と同様、その地に住み、その地の空気を吸い、その地の人々と交わり、その地の言葉を解し、その地の食を喫して・・・それでどうにかこうにか習得できる、というところであろう。
例えば、その外人力士が帰国して祖国に相撲を根付かせようとしたら、どうなるのであろうか。
彼自身がたとえ綱を張ろうが、弟子に伝わるのは運動としての相撲の技であり、厳密な意味での文化としての相撲道ではない。
格技としての相撲は祖国に伝わっても、日本文化としての相撲道とは異なった独自のものとして発展して行くであろう。相撲道の影響下に作られた、オリジナルの格技として。
それは相撲といえば相撲だし、異なる格技といえば異なる格技だ。