我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

ツマラン漫画と妄想武術


今日は、ちょっと挑発的ですよ♪

ちょっと前に「漫画を読み続けて55年」というおっさんよりご高説を賜った。このひと、こないだ還暦になったのだが、小学校入学前から漫画を読み続けているんだそうな。

某大手企業の部長さん(自称)というこの親父さん、手塚とか赤塚とかいった鬼籍に入られた方々から始まって、鳥山だ、本宮だというワシらも知っている人達や、わしはよく知らない現代の漫画家のことをしゃべり倒してくださった。


んで、おっさんが一息ついたところで、問いかけを。

「最近の漫画って、絵が下手だしツマラン作品が多くないですか」

「ん?そう思うか?・・・そうなんだよ!実につまらない作品が増えた!

実は私は現代の漫画事情はよくわからん。が、たまに手に取ると1〜2ページ読んだだけで投げ出すことが多い。薄っぺらい絵と登場人物の腐ったセリフを見るだけで、作者の感性とおそらく身体さえもが劣悪であることが分かる。


で、おっさんの見解やいかに?「君はよくみている!その劣悪な感性は、どこから生まれるか分かるか?

「情報量だよ、情報量が足りないんだよ、キミィ!」

情報はあふれているんじゃあないでしょうか?

「いや、一次情報、二次情報が足りていないんだ」

おっさんが言うには、あるテーマに関係する人発信した情報が「一次情報」であり、一次情報発信者から聞いた人に又聞きして得た情報を「二次情報」と言い、せいぜいここまでが信頼に足る情報であるとのこと。

三次以降は臨場感が薄まってしまうので、感性を築くには適さないのだとか。たしかにネットで転がっている情報は、三次以下がごろごろ溢れているだろうね。

一番いいのは自身が一次情報発信者となる、すなわち現場で体験することである。

例えば登山なら、自分でマッキンリーに登るのが、一番、臨場感があるが、せめてマッキンリーに登った人から、じかに話を聞ければ、山を制した人物の気迫やオーラに触れることが出来る。

でも、この話が何人もの人を介して聞いたり、ましてネットで読むだけなら、その臨場感は一つも伝わらない。


おっさんの話は、ざっと、こんな感じだった。


なるほど、よーわかった。私が感じていた作家の貧しい感性と劣悪な肉体は、こういうところから生まれるんだな!

確かに、武術・武道の世界でもそうだよな!現実に剣や拳の嵐の中に身を置いて稽古をしたうえで語るのは一次情報発信者で、その立ち合いや組手を観た人は一次情報に触れた人。

組手を観た人から、その組手の臨場感を聞ければ、まぁある程度伝わるだろうね。これ二次情報ね。


武道においてはここまでが臨場感あるお話。というか、二次情報を臨場感を持って捉えられるのは、自分も稽古を積んでいる人だ。厳しいんだよ、武道は!

DVDになっている情報をたくさん知っているっつぅだけで、「私の見識・研究は日本一」を名乗る香ばしい方がいるらしいが、その時点で見識が無いってことをバラしているだろ。


二言目には、不意打ちとか急所とか、暗器とか、騒ぐ人みたいだけれど、お前はヒットマンかっちゅうの!遣ったことあるのか、暗器(笑)。

イイですか、強い相手とまっとうに勝負をせずに手段を選ばずに勝つことが許されるのは、そうまでしても貫かなければならない大義がある場合だけですよ。


まぁ、それはともかく、生身の身体で相手と向き合う稽古を疎かにして、本やDVDで仕入れた知識で武を語るのはやめましょうね。


むかし、私に「らくな稽古を3年やれば名手になれる道場」の存在を大真面目に語った御仁がいましたが、今はどうなさっているんだろうか?

彼も情報量だけはありましたね。三次以降の♪

その話を聞いてもう5年は経っているので、私を相手にその技の“冴え”を見せていただけたら有り難いね!

なんだったら、代打を連れてきても結構ですのでヨロピク♪


そしたら、俺が一次情報発信者になりますから!


ああ、そだ。シマムラの拳固は痛かった、というのも一次情報だから、大いに語りたまえ!