我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

受験勉強??

今日の稽古は突き蹴りの基本と、ミット打ちを行った後は久し振りの組手。年末の忘年組手にむけて、という稽古は特に考えていない。稽古でやっていることを普通どおりにやれば良い(それが難しいんだけれどね)。

支部のメンバーの2名が稽古外で怪我をしてしまい組手が出来なかったのだが、ようやく怪我も癒えて組手が出来るようになった。ということで、まぁ普段通りの稽古ですナ。


受験勉強的なマークシート対応型詰め込み学習や「傾向と対策」めいた学習は、運動でも学業でも私にはなじまない。

打撃のコンビネーションの稽古など受験勉強の最たるものだね。試合なら決まった範囲での競い合いで、傾向と対策があるんだから受験勉強が有効だろうけれど、武道という観点からはなじまないな。


詳細は割愛するけれど、実際の戦いの中での連打というのは、自分と相手の状態で決まるもので頭で作るもんではない。すこしだけ言うと連打というより、固め技における連絡技のような要素が大きいでしょうナ。

被弾覚悟で突進するラガーマンに打撃のコンボなんてそ〜簡単にゃ決まらないよ(笑)。生兵法は大怪我のもとですわ。


数年前、都内某所でエリート大学合気道部の稽古に出くわした時のお話。


キャプテンと思しきご仁が、課外授業的に部員さんに“打撃対策講習会”を行っていたけれど、会話の流れから察するに、教材はどうやらボクシングジムに通って覚えたパンチの打ち方。しかも覚えたてホヤホヤだよ〜(涙)。

さすがマークシート秀才だけあって、感性がずれまくっている。不完全なボクシングの打法をそのまま行うから、さっきまでチミが口角泡を飛ばして説明していた“剣の術理”なんてどこかに飛んで行っているだろ?


打撃、と聞いたらボクシングかキック、という単純脳。自分の立脚点なんてすっ飛んでいるんだからすごいよな。


それはさておき。


忘年組手に参加する人に対してのアドバイスは、「堂々とやる」「自分を見失わない」ということくらいだな。


単なる当てっこではなくて、武士の立ち合いのごとく堂々とやってもらいたい。白刃や銃弾が唸る戦場ではないんだから無手の組手稽古くらいで自分を見失ってはダメでありんす。