我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

胃袋に入れば

稽古後に高木先生と塾生数名で食事した時のこと。


前後の脈絡は失念したが、高木先生曰く「何食っても胃袋に入れば同じ、なんていうヤツとはさ、俺は友達になりたくないな」

まったく同じことを何名かの武道家の口から直接聞いたことがある。


武道やっているヤツは口が奢っている、というわけではない。そりゃまあ稽古後は腹が減るから食欲旺盛な人間は多いだろうけれど、そういう話じゃない。

私の理解はこうだ。食べ物の味云々っていうのは端的な例であって、要は、「鈍感な野郎とは付き合いたくない」っていうことだ。


味覚は五感の一つであるが、そもそも五感がなぜ存在するのかと言えば、生命維持に必要だから。食べてはいけないもの、近付いてはいけないものなどを、判別する為に五感はある。

その五感の延長線上に第六感と言われるものもあるが、とにもかくにも、五感と生命維持の関係を考えたら、鈍いヤツは「武道以前の問題だっぺ」だよな。


過敏な人間もまた困りものだが、分かっていて小さなことにこだわらないのと、気づきがないのは全く別物だ。


ご飯もお酒も美味しく楽しく摂らなきゃ、作ってくださった方に失礼だろ。大食い大会とか飲み比べとかは、その失礼の最たるものだ。

まして豪傑を気取って飲酒運転するなんて論外だね。俺はダイジョーブ、が口癖の人は考え直した方がいい。

大丈夫だろうという“だろう運転”ではなく、危険がある“かもしれない”という運転を心掛けよ、と自動車教習所で習わなかった?

状況や相手を甘めに想定するのがくせになっているとすれば、その態度は必ず稽古にも出る。


話があちこちに行ったけれど、相手や状況はコチラで選ぶことが出来ない、というのが武道の前提条件だとすれば、その中でリスクを減らすためには技術とともに感性を磨くのは必須だということ。


感性を磨くには、物事や人にまっすぐ向き合って、観察をすることだ。偏差値高い学校出ているヤツは、その辺をネグって勉強(のふり)して来たんだから、心して励めよ、いいな?