我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

一技入魂

新しい人が入ったこともあり、最近の稽古会では、基本の見直しにやや多めに時間をかけて行っている。

基本を端折って適当にやっている人間は絶対に伸びない。空手でもボクシングでも古流武術でも、そして太気拳でも、そんな例をどれだけ見た事か。

武道人の心の修練は、技の稽古で行われる。技に心を込めて稽古をするうちに、技の精度とともに心も練りあがる。

何年やっても技がダメなのは、はっきり言えば心がダメなんだ。心を込めて稽古をしないから、出来ない。そんだけのこと。

昨日は屋内の稽古のあと、屋外で。人(じん)の大事さをテーマにしばし補講稽古を行う。週一だから、一週間分のテーマをどさっと与える。

一通り稽古してお開き。12月に地元で家内が主宰するイベントでプチ演武を行うのだが、相方を務めてくれるma-shimo君は居残り稽古。

演武は演舞に非ず。とは言え、人様にお見せするだけの流れ作りくらいはしておかねば、良い演武は出来ない。

演武も演舞も、姿かたちを見せるものだと思ったら大きな間違いだ。演ずる姿かたちを通して、自分の心・魂を披露するもの。

ダメ技を見せると言うことは、手間暇かけて稽古して、ダメな心を作りました、と皆に触れ回っているようなもの。こういうのは武士の恥です。

今回の演武をきっかけに、今後はすこしは武道の礼式や所作のようなことも伝えて行こうと思います。

澤井先生がある有名武道家が刀を携えた写真を見て「○○君はトーシローだなぁ」とコメントをされ、その大先生は慌ててその写真を回収したと言うエピソードがあります。

なにゆえそのような発言をされたのかを高木塾長よりお聞きしましたが、私ですら「ええっ!」と驚くような大失態だった由。

まあ大先生の失敗はさておき、武道・武術の有段者を名乗るのだったら、一定の所作や礼法は心得ていて当然です。

人目を気にしない、ということが美徳みたいになっているダメダメな社会ですが、武道人くらいは清清しい存在でありたいね。

そのためには稽古でも日常生活においても、“一技入魂”で行きたいものですナ。