我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

他山の石

人間、いくつになっても向上心・志・情熱・矜持・・・が必要だ。これを持たない人間とは同じ目線で話は出来ない。

武術の稽古をやるにしてもそう。その年齢や社会生活なりのMAXを目指すべきだ。これは必ずしも疲労困憊するまで、という意味では無い。継続できなければ意味はないからね。

20代前半なら、稽古は疲労困憊するまで毎日やるべきだな。大学生の部活でもほんわかムードで稽古する武道があるようだが、んなもん、やめちまえ!

十代二十代は志を立てる時期だから、そして、神様が試練に耐えられる肉体を与えてくれている時期なのだから、この時期に志を立てた分野には、それが武術であれ学問であれ、ビジネスであれ、一意専心で没頭したらいい。

武術であれば30代で始めたって、1年くらい経って身体が出来てきたら、たまには翌日筋肉痛になる程度はやった方が良い。それ以降は回復が遅くなるから、寝たら回復する程度の稽古で良いんじゃないか。

私も今は挫折しない程度の負荷で稽古している。十代二十代の熱いうちにだいぶ叩いたから、今は壊れる手前までの負荷で良い。


閑話休題


さて、冒頭の話。分野は秘すが、ある身体運動の先生が「夢は楽をして金儲けすること」とのたまっているのを聞き、「あの人も終わったな」と感じた。具体的にはちょっと書けないのだが、志を失ったということだな。

志を失った人間に習う生徒さんはかわいそうですよ。ひとごとですが。

だいたい身体が資本の仕事しているのにコンビニ弁当が主食だもんな。これは心身をいい加減に扱っているということに他ならない。

金がないという理由で“吉牛”を主食にして居る空手マンの友人がいるのだが、こいつも叱りつけて自炊を命じた。今の私の一食あたり単価は吉牛と同じくらいだろうけれど、全然栄養価が違うよ。

ちなみにこの空手マンは私のアドバイスを無視したので、数年たった今、30歳ちょっとの年齢なのに酷い老化が始まっている。骨も内臓も筋肉も、そしておつむの方も10歳年上の私の方が全然若い。こいつも終わったね。悲しいけれど。

上記の先生は私より年上だが、それでもまだまだ老けこむ歳ではない。しかし言動を見聞きすると身体もおつむもヤラレて来ているのが分かる。

身体運動で飯を食う人間が、鍛練は言うまでもなく資本である身体を維持する食事に手を抜き始めたら、無惨な末路が待っている。自分の仕事に志や情熱があれば、食の手抜きなんか怖くてできないはずなんだが。

日常生活を疎かにしておいて、稽古事だけ成果を出そうと思っても無理だよ。疎かにする、という癖を心身に刻み込んで居るんだから。それが稽古にも出る。以て他山の石とすべし