不定期連載 『アラブのプリンス』 その1
釜川周辺は、ちょっと京都の高瀬川と木屋町通を思わせる風情に満ちた飲食店街である。
多くの飲食店が出来ては消える繁華街。件の店はその一角に陣取る雑居ビルの一階にあった。二階はというと、宇都宮では有名なBARである。
酒を飲まない俺ではあるが、人づてにその名前を聞いていた。ここだったのか・・・。
BARのマスターにはいずれ取材することとして、今日のお目当ては件のアラブ料理店である。
店に入ると快活な女性店員とおとなしそうな男性店員が「いらっしゃいませ!」と迎えてくれる。ここまでは至って普通の店だ。
カウンターに席を取る。言葉のたどたどしさから察するに、男は中国か韓国の人だろう。
ドリンクメニューを見るとフレッシュジュースが充実している。まずはジュースを頼み、食べ物はゆっくり選ぼう。
レモンミントジュースを頼んでメニューをチェック。ふっと顔を上げると、カウンター内にアラブ人の男が立っている。
「あなたがオーナー?」男はうなずく。いかにもお坊ちゃまお坊ちゃました感じの垢ぬけたイケメン君だ。
誰かに似ていると思ったら、ショービジネスの世界で有名なあの男にそっくりではないか。
左手首には宝石をちりばめた高級時計。高級クラブの支配人ならいざ知らず、大衆を相手にする店でこういう振舞いをするとは庶民の出ではあるまい。
おそらく・・・王族もしくはその血をひく男であると俺は考えた。出身地を聞くとUAEであるという。やはりな。そのことをオーナーに言うとかぶりを振ったが、俺の目は節穴ではない。こいつの正体はじっくりと炙り出そう。
俺はオーナーを勝手にプリンスと名付けた。
「お兄さん、ご注文は?」なかなか日本語がうまい。おじさん、なんて抜かしていたら顔面に正拳一撃喰らわせたところである。
数分前にレモンミントジュース頼んだことを伝えると、プリンスはチッ!と舌打ち。自分でレモンを取りに行き、ナイフを入れる。あの中国人は何もやっていなかったようだ。
まあ、良い。俺は待つことにした。レモンを刻んでジューサーにかけ、ミントを入れるだけだ。大して時間は掛かるまい。
プリンスがレモンと格闘する間に中国人を呼び、早く出来るメニューを聞き出してオーダーする。
さらに待つこと10分。ジュースがやっと出て来た。
なかなか美味い。ボリュームもある。しかし、早さも味のうち。飲みたい時・食べたい時が一番おいしいものである。
王子様が俺の為に慣れないことをやってくれているのだと考え、怒りを抑えることにした。
プリンスに「美味しいジュースだね」と話しかけると、ジュースバーでバイトしていたことがあるんだと胸を張る。
おいおい、ジュース一杯で20分近く待ってあげるやさしい客は俺くらいなものだろう。どこでバイトしていたのかと聞いてみるとサウジアラビアだという。
そうかサウジか。イスラム教国に数か月住んだ経験のある俺はすぐにピンときた。プリンスの出す飲食物は、きっとイスラム法の作法に則って捌いたハラール(halal)なのであろう。
イスラム法では食べられる食物は勿論のこと、その処理方法についても細かく規定されている。その規定にかなったものをハラールという。
たとえば家畜の肉であれば、ムスリムが殺したものでなくてはならず、その殺し方まで作法に則って行わねばハラールとは認められない。
よくわからんが、レモンの捌き方ひとつにも手順があってそれゆえ時間が掛かるのだろう、と勝手に納得した。
後方のテーブル席がずいぶんと賑やかである。7名でお越しの御一行様。地元の商工会かなにかの方達らしい。ご機嫌で何品もオーダーしている。
さてはて彼らは俺のように異文化を理解してジェントルに振舞うことが出来るかな?俺は心の中で独りごちた。
団体さんはすでに酒が入っている。しょっぱなから赤ワインを注文。不調法な奴らだ。
んん?ちょっと待て。俺は自問自答した。・・・ワイン?ワインって酒だよな。プリンスはムスリムじゃないのか?問いただすと、「僕は一滴も飲まないよ」としれっと答える。
自分はムスリムだが、商売上はイスラムの教え云々はそれほど関係ないようだ。ジュースが遅いことにしてもハラール云々ではなく、アラブ時間というやつだな。
まして王子様は人に仕えたことが無いのだろう。サウジでバイトして居たと言うが、どうせクレームをつける客は護衛が銃殺していたのに違いない。くわばらくわばら。
団体さんは、あっと言う間にワインを空ける。まるでポカリを飲み干す野球部員だ。
「赤ワイン、もう一本!」
女性店員の顔に困惑の色がうかぶ。「どうしよう。もう赤ワインないのよ」
俺はわが耳を疑った。
(つづく)