我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

不定期連載 『アラブのプリンス』 序章


事実を事実のまま完全に再現することは いかにおもしろおかしい
架空の物語を生みだすよりも はるかに困難である 
アーネスト・ヘミングウェイ


これは事実談であり・・・この男は実在する!!


俺の趣味のひとつに人間観察がある。

元々は、結構リスキーな若年期を過ごして来た過程で身に付けた習慣であるのだが、平和な日々を送るようになった30歳代後半以降は、純粋に趣味の一つとして楽しませて頂いている。

最近までは勤務先(平塚)の近所のある会社の社長ジュニアをめぐる人生劇場を潜入取材していたのだが、ジュニアがモノホンのバカだと判明した時点で、俺の興味は失せてしまった。

それ以上の展開がありえない以上、そこに用はない。「次行ってみよー!」である。


しかし、「次」と言っても俺の興味を満たすために社会は動いているわけではない。

「面白いことは自分の足で探せ!」が当家の家訓の一つである。犬も歩けば棒に当たる、と諺でも言うではないか。


ある夜、俺は治安維持活動を兼ねて宇都宮の街をぶらついていた。

一通り歩いて「異常なし」を確認した俺は、釜川沿いの喫茶店で羽を休めることに。


しばし休憩していると、二人連れの男性客が現れる。カウンターに陣取り声高に会話を始める。ずいぶんと声の大きな男たちだ。

こんなときは「うるせぇ!」なんて叱ってはいけない。なじみのうすい土地では喫茶店での客の会話も重要な情報源だ。


聞くとは無しに聞いていると、カウンターの客がマスターに話しかける。

「あのさ、マスター。向かいにアラブ料理の店があるよね。どんな人がやっているの?」

「よく知らないよ。こっちにゃ一言の挨拶だって無えんだから。・・・アラブ人の若い衆がオーナーみたいだね」

マスターの口調からは若干の不快感が伝ってくる。


「おれ、知っているっす」別の客が会話に入り込む。彼はマスターの不快感など意に介さず、べらべらと喋りまくる。


「オーナーのアラブ人、まだ学生なんすよ。なんでも日本に留学しているアラブのお金持ちの子弟が最近になっておっぱじめた店らしいですよ

彼が語るところによると、アラブ人オーナーは釜川を挟んでお向かいのこの喫茶店のみならず、入居したビルの同業者にすら挨拶に行っていないということで、早くも周囲からは生温かい目で見られているのだとか。


夜の世界は結構あいさつや筋目に煩いからな。これはひと悶着あるかもしれない。


自分がトラブルに巻き込まれた日には煩わしくって仕方ないが、他人が揉めるのを観るのはワクワクするものだ。

またぞろ諺を持ち出せば、火事と喧嘩は江戸の華、などというではないか。


しかも主人公がアラブの金持ちときた。誰の目にも魅力過ぎるネタではないか。ストーリーの面白さは登場人物如何による。


冒頭に書いた社長のジュニアが単なるバカなんて話は、そこいら中に転がっている。面白くもなんともない。

久々のスマッシュヒットの予感である。当家の家訓通り、自分の足で探さんといかんな。

悠長に珈琲を飲んでいる場合ではない。手早く勘定をすませて、件の雑居ビルへと向かった。

これから展開されるであろう人生劇場。その筋書きのないドラマへの期待感に、まるで初めて恋をした日のように、俺は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。

(つづく)