我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

昭和の武蔵と歩み足

月刊誌『剣道日本』の連載で歩み足主体の剣道について論じる方が居られる。最新刊の記事で故・中倉清範士の歩み足について述べておられた。

中倉先生は中山博道門下の三羽烏の一人(一羽??)で、昭和の武蔵、と称された剣豪である。

現代剣道の稽古は通常は送り足が主体である。それ自体にに良いも悪いも無い。が、もともと体術から入った私にはいまだに戸惑いがある。

かつて古伝の剣術を学んだことがある。もっとも、木刀の組太刀のみで竹刀稽古は行ったことが無いのだが。

剣術は送り足だけではなく、継ぎ足・開き足・歩み足や抜重を用いるし、また、現代剣道と比較すると体術の要素が非常に強い。

かつては剣を学ぶ者は柔も弓も出来たという。いまは単一の専門分野だけを学ぶ人が多い。剣道家の多くは転倒法が苦手であろうし、柔道家で満足に剣を振れる者もすくないだろう。

剣道が送り足主体になった歴史は知らないが、その辺りの流れと軌を一にするのではないだろうか。


もっとも、どちらがすぐれているという話では無い。古流の師範で剣道を悪く言う人は多いが、稽古量や層の厚さを考えれば、古流がいくら禁じ手を稽古していると豪語しても、それを解禁したからとて剣道の高段者を打ち破れる古流の遣い手は少ないだろう。


おそれ多くも私は生前の中倉範士を何度かお見かけしたことがある。稽古も拝見した。剣術の薫りがする剣道であったように覚えている。

範士の胸を借りた方のお話も伺ったが、体をわずかに捌いての左右面がまったく見えず、これを随分と頂戴したそうだ。

おそらく中山博道先生の神道無念流と一時期養子になっていた植芝盛平先生の影響があるのだろう、とおっしゃっていた。

その方が言うにはお弟子さんでその変化を真似する方も居たが、中心が開くために、それを打ち破るのは容易かったそうだ。

まあ、私などは剣道に関しては遅く始めた上に稽古時間が少ないんだから、先生に教わったことを稽古させて頂くのみで十分。歩み足云々は送り足の剣道が十分できるようになってからで良いだろう。のんびりやるさ。


創意工夫は“拳”の方でやる。


しかし、こうして考えると武道だけは随分と良いものを拝見して来たな。何年も経ってそれが生きて来ることがあるんだから、機会があれば色々なものに触れておくべきだな、うん。