我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

武士道


日本国民は今、とてつもない大転換期に立たされている。何が正しいのか、誰を信じれば良いのか、私たちの暮らしがどうなって行くのか・・・まったく五里霧中になってしまった。


世界に災厄をもたらす米国の戦略に乗せられて、日本は原子力発電を導入することになったわけだが、そろそろ気づいても良いんじゃないですか?


今が原発脱却のまたとない機会でしょうな。GHQに日本を売り渡して発展した例の新聞社やテレビ局は昔から嫌いだったけれど、今回の原発危機も東電だけの問題だけではなく、言うてみりゃこいつら銭ブタが火付け役だから。


原発のおかげで今の電力需要がまかなえるんだ、と言われればそうなのかも知れんが、電力はほどほどで良いから、もう少し天地(あめつち)に根差した生き方に軸足をシフトするべきだろうね。

グローバル資本主義とか言う白んぼのジャイアニズムをさっさと捨て去って、
天地自然に対して畏れを抱き、調和を取って生きて来たのが日本民族。今こそ、その精神を思い出す時期でしょう。

そして、日本精神・大和心の精髄が武士道である。武士は戦闘者であるとともに、政治家であり、精神面での規範を伝えて行く存在でもあった。

我々はその武士道精神を現代社会に合った形で復興させる時期に来ている。

昨今では歴女だとか言って、日本の歴史に興味を持つ女性も増えているみたいですね。戦国武将の生き方とかエピソードだとか、武士道精神に詳しい方も多いよね。

それはそれで良いんだけれども、もう一歩踏み込んで武士道精神を単なる知識としてではなく“生きる智慧”として生かして行くためには、武術を修練することが必須でしょうな。

“武”ということを知らずして、葉隠五輪の書を現代語訳でちょこちょこっと読んで武士道を語って頂いてもねえ(笑)。


それはさておき。

私は格闘家とかファイターではなく、武士でありたい。武士はファイターの要素を持っていなければダメだが、ファイターは必ずしも武士には非ず。

武士道と言う思想、すなわち“文”に力を与えるために“武”を行じ、“武”という力が暴走しないように方向性を示すのが、武士道という“文”である。

だから、世間じゃ文武両道というけれど、文武はワンセットと考えるべきだろう。勉強とスポーツが出来ることが文武両道だとか、なんだそれ(笑)。そういう安っぽいものじゃないよ。

大体さ、精神的支柱を持たない奴が体力も頭脳も優れていたら、困るだろうっての!

とにかくね、俺の目が黒いうちに1人でも多くの武士を世に送り出すつもりですよ。

武道の体究練磨を経て武士道・大和心を体現する人が増え、そしてその魂が次世代に語り継がれて行けば、きっと日本はまた良い国になれますよ。