自分観察
本日は、高田馬場で今年初めて塾長の稽古を頂戴しました。
久し振りに推手で崩していただく。
合宿以降しばらくは“デュエット推手”だったから、崩しを入れる推手は馬場では久々。
組手でも推手でも、上級者に稽古を頂くときには、その方の良い処にぶつかるのが上達の秘訣であると、私は確信している。
良いところにぶつかれば、打たれたり崩されたりすることがある。それを嫌がっていたら、稽古にならない。
稽古でも“負けないこと”を目標にやる人が居るが、稽古は稽古で勝負ではないんだから、やられたら良いんだよな。
もちろん、わざとやられるということではない。ある種の武道みたいに体構えが崩されていないのに飛んでみたりする稽古は論外だ。
自分が“死に体”になっているのに崩された後や、当て止めで打たれた後に手を振り回すのは違うよ、ってこと。
私も先生と推手で手を合わせるときはマジにやる。その上で、体構えが崩されたら、正対したまま冷静に自分が崩されていく過程を見取る。
マジにやってこそ、先生や先輩も真剣に稽古を付けてくださる。
10年間塾長に崩される自分を観察し続けたら、誰でも私くらいにはなるんじゃないか。
島村程度ではヤダ!っていうひとは、もっともっと先生にやられる機会を作ることをお勧めします。そしたら島村くらいは軽くぶっ飛ばせるようになるでしょう♪
やられるのを嫌がって姿勢を捻じ曲げたら、崩される自分をきちんと観察出来ないよ。
何故やられるのかがわかれば、どうすれば勝てるか、が学べるはずです。