我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

刀を置く時

今年もシソジュース!


先週の金曜日にSMAPの番組にプロボクサーの辰吉𠀋一郎選手が出演していた。一昨日と2週連続であったようだが、一昨日は残念ながら見逃してしまった。

前半のそれもほんの一部しか観ていないのだが、変わり果てた辰吉氏の姿には悲しいものを感じた。大きなお世話を承知で言わせて頂ければ「もう刀を置くべきである」というのが、率直な感想だ。

年齢だけのことでは無い。彼の心身にはパンチの毒が溜まり過ぎている。喋り一つとっても、かつては島田紳助を思わせるような反射神経があった辰吉であるが、その面影は全く無かった。

格闘技者としての彼の最大の問題は、「倒れるスイッチと回路」がその肉体のあらゆる個所に埋め込まれてしまっていることだ。先だってタイで行われたと試合でも、はるか格下の選手のパンチがちょっと当たっただけで、身体が硬直しなすすべもなく倒れてしまった。

かつてのような心身の柔軟性が全く無くなり、打たれた芯を外すことも出来ない。膝・背中・首などすべてが固いから抜いて入ることが出来ないし、打たれた時に衝撃を分散できない。

武術の組手でもこれは大事だと思っている。顔面や金的は打たせないことが第一だが、万が一捉えられても上下左右に瞬間的に変化出来れば最悪の事態は避けられる。それには縦横無尽に変化できる身体を練り上げることだ。

このブログを読んで下さっている方は、私が今年38歳になる嶋田雄大選手の世界再挑戦を応援していることはご存知であると思う。嶋田さんは先のバレロ戦で最後は力尽きたものの、柔軟かつ強靭な心身が健在である。夢や想いはそれにともなう知力・体力があってこそ成就される。私が彼の再挑戦と大願成就を見届けたいと思う所以である。

かつて大ファンだった辰吉氏に対して失礼な物言いになるが、もうボクサーとしてこれ以上の進化は彼には期待できまい。否、年月を重ねて肉体の劣化が進むごとに、拳の切れ味も鈍って行くだろう。彼はもう十分以上に戦った。

一人の人間として非常に魅力のあるキャラクターであっただけに、拳のキレとともに輝きが失せて行くのを見るのは忍びない。彼には勇気ある再スタートを期待したい。


註)今年もシソジュースと梅ジュースのシロップを漬けました。夏を乗り切る準備は万全です