我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

お願いなんて

気合だー!!


昨日は高木先生および東京の塾生の皆さんと合流して、澤井先生のお墓参りに行って参りました。詳細は後輩のK君がHPの日誌で書いてくれるでしょう。そんなわけで、お墓参りの詳細は書かず、私の想いを中心に進めます。

澤井先生の墓前で「何をお願いしますか?」と高木先生。ちなみに私はどこにお参りしても、お願い事は一切しません。

先生は「お願いなんて必要ないんですよ。ただ感謝すれば良いんです」とおっしゃる。我が意を得たり!

そう言えば、お寺の入口に「あれも欲しい、これも欲しいというけれど、本当に欲しいものはすでに手にしている」という意味のことが書いた紙が貼ってありました。

所詮、人間はやりたいことを選択して生きているんです。口では「強くなりたい」とか「金持ちになりたい」とか色々言いますが、本当にそう思っているのならば、その想いを実現すべく動き出しています。

強くなりたいのに稽古しないのは、心から強くなりたいと思っていないだけ。金が欲しいのに仕事をしないのは、心から金が欲しいわけではないから。だから手に入らない。それだけです。志を立てたら行動して、初めて想いは実を結ぶ。

口幅ったいですが、私自身は思ったら準備・実行するだけ。「武道を生きる」と少年時代に決めてから、色々と形や温度を変えながらも稽古を継続して来た。

直接お会いしたことが無い澤井先生であるが、中学2年生の時に『拳聖』の初版を手にして以来、その名前は私の心を離れたことはない。思春期の多感な時期、著者の佐藤嘉道先生という語り部を通じて武の大先達の魂に触れ得た、と思っている。

気づけば高弟の佐藤嘉道先生が『拳聖』を著した年齢を、私は越えてしまった。改めて『拳聖』を読めば、すでにその当時から卓越した見識・実力を備えておられたであろう佐藤先生と、現在の私自身の差の大きさに愕然となる。

澤井先生の墓前に手を合せ、太気拳の稽古を通じて多くの勉強の場を与えて頂けたこと、そして素晴らしい人たちとのご縁を頂いていることに改めてお礼をさせて頂きました。

私にはお願いごとはありません。歩くべき道と決意があるだけです。そのような場を与えてくれている高木先生、ひいてはその師匠であらせられる澤井先生に、唯只管「感謝」あるのみです。

P.S. 二次会で「猪木酒場」に行かれた皆さん、無事に帰宅できましたでしょうか?ナムちゃんが「草磲いで(クサナイデ)」しまわなかったか、ワタクシ、ヒジョーに心配しておるのですが。