我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

少し上で遣う

昨日の水曜稽古会では東京でも課題になっている練の稽古をメインに、その身法で炮拳を順・逆の双方で打つ稽古、そして相対稽古は単推手と組手を行う。

忘年組手を経験した3人は、稽古に真剣味が増したように思える。支部の稽古でも組手は時々行っているが、普段手を合わせない人達と稽古をして触発されたのだろう。

以前にも書いたが、今のところ生徒同士では組手をほとんどさせていない。どうしても生徒同士だと負けたくない意識が前面に出てしまうからだ。

支部の稽古生と組手をする時、私は「相手より少し上のところで遣う」ことを心がけている。勝負論に則るならば相手の良いところをつぶしてしまう組手をするべきなのだろうが、それはやらない。理由は二つある。

一つは当然であるが稽古生には伸びてもらわないといけないということ。そして、もう一つは自分の稽古のためでもある。

2004年の“太気祭”の場で佐藤嘉道先生に「35歳を過ぎたら、相手を引き出してやる稽古を心掛けなきゃ」と言われており、そこをテーマの一つにしている。

ただし、今回のM君との組手では彼の得意とする“ダッキング”をことごとくつぶした。ボクシング経験者の彼はよくダッキングをする。従来はそれを咎めなかったが、今回は頭を下げたところを捕獲して崩したり、ダッキングの後上がってきたところ横面を撃ったりと、結構厳しく攻めた(註:ヘッドギア着用です)。

太気拳に対してのダッキングは危険を伴うことを、身を以て知ってもらった。最初から得意な動きを潰してしまっては組手が出来ないゆえ、今までは何も言わないでいたのだが。

しかし、熱心な稽古が実を結んで相応の上達を見せている今の彼に、ダッキングは不要だ。上達すれば必ず強い相手と手を合わせることになる。その時のために、彼は今変わらねばならない。

見学組の稽古生各位も大いに感じるところがあったのか、私の言葉にうなずいていた。今年は皆、ズンと伸びて行きそうな予感がします。